
昭和7年旭区誕生時の
区役所庁舎 (旭区史より)

旭区庁舎に名板を掲げる
区名の由来は、「日の出ずる東部」を意味するとともに、文字通り「旭日昇天」の勢いで将来の発展が約束されるというところから名付けられました。さらに昭和17年には、区域が拡張され、翌昭和18年には、全市にわたって区の再編成が行われ、旭区の南半分が分区されて、現在の旭区の区域になりました。
●旭区の位置
大阪市の東北部に位置し、北に淀川を望み、西に城東貨物線、南に国道163号線、さらに東は守口市と境を接しています。
●旭区役所経度
135°32′ 緯度 34°43′
所在地 :〒535-8501大阪市旭区大宮1-1-17
電話番号 :担当課別案内
FAX番号 :06-6952-3247
最寄り駅 :京阪「森小路」西出口 地下鉄谷町線「千林大宮」4号出口
市バス「旭区役所区民センター前」
●区の花
ハナショウブ 昭和63年10月制定
◆ハナショウブとは…(花言葉 / やさしい心)
アヤメ科。アヤメ属の一種で、日本に自生するノハナショウブから改良されたものです。5月の節句の時にお風呂に入れるショウブ(サトイモ科)とは、違う種類の植物です。
名前の由来 / 葉がショウブの葉に似ており美しい花をつけるところからです。
◆旭区の花のデザインマーク
広く区民の方々から募集のうえ、平成元年8月26日に開催された「市政100周年旭区記念式典」において制定されたものです。まちづくりのシンボルマークとして広く活用されています。

*デザインマークは、3種類あり、むらさき色はDIC581、みどり色はDIC572の色を使用しています。上記の色パターンとむらさき(特色)、一色のパターン、むらさき色の反転パターンのそれぞれ3種類の計9パターンがあります。

河内平野は、かなりの部分が海の底でした。ちょうど旭区の森小路周辺は淀川と大和川の上流から運ばれてきた土砂で埋まり、紀元前1500年ごろにはすでに村落があったようで、このころから交通の要所として栄えていたようです。旭区内でも遺跡が発掘されています。
旭区民センターの郷土史料室で出土品や復元模型・パネル展示などで当時のようすを知ることができます。
旭区民センター内郷土史料室

河内平野のかなりの部分が淀川と大和川の土砂で埋まっていきました。旭区周辺に出来上がった土地でも稲作が始まり、ますます繁栄していきました。しかし、森小路村落 の北側の淀川はたびたび氾濫して、せっかく出来上がった農作物に大きな被害を及ぼしていました。
長雨が続くようなことがあると、淀川や大和川の氾濫だけでなく大阪湾からの海水が逆流し、大きな被害を受けることがしばしばありました。当時、災害に対する備えを持たなかったため、時の大王である仁徳天皇は治水工事を開始。堤(茨田の堤)を建設するとともに、河の神に生贄を捧げることを決め、神のお告げによって武蔵の国の強頸(こわくび)と河内の国の茨田連衫子(まむたのむらじころもこ)の2人が選ばれました。強頸は生贄として淀川に沈められましたが、茨田連衫子は川にヒョウタンを投げ込み「本当の神ならばヒョウタンを沈めてみよ」と叫びヒョウタンが沈まなかったことからこの生贄が神の意志によるものでないとして、生贄をまぬがれました。
強頸が死んだ場所は現在の千林周辺で、強頸絶間(こわくびたえま)として石碑が建てられています(個人宅に保存)。茨田の堤は現在も門真市の堤根神社に残っています。
推古天皇を補佐する聖徳太子は河内平野・淀川の堤を視察し、周辺住民に中国からの技術を伝えました。聖徳太子は旭区にも立ち寄ったとされ、太子橋の地名からも、うかがえます。

仏教が広まり、その影響力が強くなると旭区内にも赤川寺・橋寺など大きな寺院が建立されました。しかし、やがて荒廃してしまい現在では石碑が残るのみとなっています。
大阪城主の豊臣秀吉は、京街道の整備、淀川の堤の改築(太閤堤)など交通・治水面を考えた事業を行いました。現在でも高殿に残る「七曲がり」は大阪城防衛のためにつくられた道でした。また大阪城天守閣の棟が上がらず工事が難航していた際、秀吉が白蛇の夢を見て、その白蛇が住むという大楠の場所に神社を建立したため工事が成功したという言い伝えが残っています。この大楠は現在でも今市に存在しています。
また、秀吉の行った治水工事(太閤堤または文禄堤)の名残が現在も守口市役所の南側に長さ約700メートルほど保存されています。

昔から交通・物流の大動脈であった淀川をより安全に、より使いやすくするために大規模な工事が行われました。オランダの技師、ヨハン・デレーケ氏による治水工事は川の両岸からT型の石積みを突き出し、水流を制御するというもので、現在では赤川鉄橋から菅原城北大橋周辺に“ワンド”として残っています。
| 明治 4年(1871) | 廃藩置県・大阪府発足。 |
| 明治22年(1889) | 大阪市発足。 |
| 明治43年(1910) | 京阪電気鉄道が開通する。 |
| 大正 6年(1917) | 城北村に初の上水道給水開始。 |
| 大正14年(1925) | 東成区として大阪市に編入。 |
| 昭和 3年(1928) | 区内初の市営バス運行開始。 |
| 昭和 6年(1931) | 森小路遺跡発見される。市電(都島~守口間)開通。 |
| 昭和 7年(1932) | 東成区から旭区分立。旭区役所設置、当時人口123,449 人 |
| 昭和 9年(1934) | 城北公園開園。室戸台風襲来。 |
| 昭和15年(1940) | 城北運河(現、城北川)完成。 |
| 昭和16年(1941) | 旭警察署開設。森小路保健所(現、旭保健センター)開設。旭税務署開設。 太平洋戦争突入。 |
| 昭和17年(1942) | 区域拡張(東淀川区の一部編入)。 |
| 昭和18年(1943) | 大阪市22区制となる。旭区の南半分が城東区、一部が都島区へ。旭公園開園。 |
| 昭和20年(1945) | 空襲で旭区も大被害を受ける。終戦(8月15日) |
| 昭和23年(1948) | 旭消防署落成(現、赤川出張所)。 |
| 昭和24年(1949) | 水道局大宮営業所開設。旭区役所庁舎再建(焼失のため)。 |
| 昭和25年(1950) | ジェーン台風襲来。 |
| 昭和28年(1953) | 旭区福祉事務所開設。城北市民病院開院。 |
| 昭和32年(1957) | 今里~守口間、トロリーバス運行開始(昭和45年全廃)。 |
| 昭和36年(1961) | 旭電話局開局。生江市民館(現、生江人権文化センター)開館。 |
| 昭和39年(1964) | 城北公園菖蒲園開園。 |
| 昭和43年(1968) | 旭消防署新庁舎落成。(大宮1丁目) |
| 昭和44年(1969) | 市電全廃。 |
| 昭和45年(1970) | 豊里大橋完成。平田の渡し廃止。旭区役所新庁舎完成。 生江解放会館に改称(現、生江人権文化センター)。 |
| 昭和46年(1971) | 住居表示開始。 |
| 昭和50年(1975) | 旭図書館・旭区老人福祉センター・旭勤労青少年ホーム開設。 |
| 昭和51年(1976) | 生江青少年会館開設。 |
| 昭和52年(1977) | 地下鉄谷町線(都島~守口間)開通。大阪旭郵便局開局。 |
| 昭和53年(1978) | 両国解放会館(現、両国人権文化センター)開館。 |
| 昭和55年(1980) | 両国老人福祉センター開設。 |
| 昭和57年(1982) | 旭区制50周年。 |
| 昭和59年(1984) | 両国青少年会館開設。 |
| 昭和60年(1985) | 生江障害者会館開設。 |
| 平成 1年(1989) | 菅原城北大橋完成。大阪市制100周年。 |
| 平成 5年(1993) | 城北市民病院閉鎖。市立総合医療センター開設。 NTT旭営業所(旧、旭電話局)が守口営業所へ業務統合。 |
| 平成 6年(1994) | 旭スポーツセンター開設。 |
| 平成 8年(1996) | リサイクルプラザ赤川開設。 |
| 平成10年(1998) | 旭区在宅サービスセンター開設。 |
| 平成12年(2000) | 旭区民センター・芸術創造館・旭図書館完成。 |
| 平成14年(2002) | おとしよりすこやかセンター北部館・旭屋内プール・城北市民学習センター開設。 |
| 平成14年(2002) | 区役所耐震改修工事開始。 |
| 平成15年(2003) | 旭保健センターが区役所に統合され、旭区保健福祉センターとして開設。 |
| 平成16年(2004) | 区役所耐震改修工事終了。 |
| 平成17年(2005) | 区内に赤バス運行開始。 |
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