もっと知りたい あべの発見!7つのあべの物語
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49陰陽道のスーパーヒーロー安倍晴明の生誕地安倍晴明神社は、平安時代の高名な天文博士、陰陽師である安倍晴明を祭神としています。この地は、晴明が生まれた晴明屋敷があったところといわれています。『晴明宮御社伝書せいめいぐうごしゃでんしょ』では、晴明の死を惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祀るよう命じ、晴明没後2年の1007(寛弘かんこう4)年、この地に安倍晴明神社が創建されたと伝えられています。安倍晴明は、古代の豪族阿倍倉梯磨呂の子孫です。平安時代の944(天慶てんぎょう7)年3月辰の日辰の刻に阿倍野に誕生したといわれ、一説には921(延喜えんぎ21)年に誕生したともいわれています。幼名は安倍童子。晴明は実在の人物ですが、その誕生や少年時代は謎に満ちています。成長した晴明は京都に上り、陰陽道の第一人者である賀茂忠行とその子息保憲に師事して陰陽・推算を学び、天文博士大膳太夫、播磨守などを歴任し、村上・冷泉・円融・花山かざん・一条の五帝に仕えました。晴明は少年時代から霊力をもった秀才だったようで、人に見えない鬼が見えたり、鳥が話す言葉がわかったなどと言い伝えられています。平安時代最大の実力者であった藤原道長のお抱え呪術師じゅじゅつしとして重用され、天文を見てあらゆる事を占い、花山天皇の退位を予知したり、大江山の鬼退治を指導したことなどは有名です。また式神しきがみ(一種の精霊)を自在に駆使し災厄さいやくを防いだり、呪いやさまざまな術を行ったという逸話が『今昔物語』などに伝えられています。伝説では、陰陽師の安倍保名を父に、白狐の化身である葛之葉を母として生まれ、母子の別れ際に霊力のある知恵の玉を授けられたとされています。後世、安倍晴明の物語はさまざまな奇談が加えられ、江戸時代の1734(享保19)年、大坂竹本座で初演された浄瑠璃『芦屋道満大内鑑』の四段目『葛之葉子別れの段』が有名になり、晴明は陰陽道のヒーローとして語られ■阿倍王子神社の末社伝説の陰陽師を祀る安倍晴明神社(阿倍王子神社所蔵)折烏帽子をかぶり、狩衣と袴をつけて方形の台の上に座る静かな晴明の姿と、右下には緑色の衣をまとい、右手に松明をかざしてひざまずく迫力に満ちた式神が描かれています。晴明の死後、鎌倉から室町時代の作といわれています。安倍晴明画

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