もっと知りたい あべの発見!7つのあべの物語
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50【所在地】阿倍野元町5晴明の母が白狐であるという「葛之葉子別れ」の伝説が残されています。晴明誕生地の碑・産湯井の跡安倍晴明神社白狐の飛来像るようになりました。晴明の子孫である土御門家つちみかどけは代々陰陽頭となり多くの人員を擁し、江戸時代にも幕府で作られた国づくりの基本となる暦は、土御門家が吉凶を加筆し制作しました。現代の生活にも息づいている安倍晴明の世界晴明は1005(寛弘2)年9月26日、京都の堀川邸で亡くなり(享年62歳、系図では85歳)、邸跡(京都市上京区堀川通一条上ル)は現在、晴明神社となっています。また墓所は上京区嵯峨天竜寺の近く(旧境内)、長慶ちょうけい天皇陵の縁部(現、晴明神社飛地境内)に現存しています。安倍晴明神社は、明治時代には、文政年間に堺の住人、神奈辺大道心が建立した「安倍晴明誕生地」の石碑と小祠しょうしのみとなっていましたが、1921(大正10)年、晴明を祖とする社家の保田伊之助氏が旧社地を寄進して、1925(大正14)年、阿倍王子神社の末社として現在の社殿が竣工しました。神社には、晴明との出会いを求めて、今も多くの人が訪れています。境内には、神奈辺大道心が建てた「安倍晴明誕生地」の碑と晴明の産湯を汲んだとされる井戸が並んでいます。晴明を祖とする土御門家の家紋、五芒星。魔除けのお守りとして全国で広く用いられています。

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