もっと知りたい あべの発見!7つのあべの物語
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4国際交流都市・難波に建つ阿倍寺跡の発掘調査それでは、阿倍氏が建立した阿倍寺はどこにあったのでしょう。この地で栄えた阿倍氏の氏寺があった阿倍寺跡は、近畿日本鉄道(以下、近鉄)南大阪線大阪阿部野橋駅の南200mの松崎町2丁目に位置しています。現在、阿倍寺を思わせるものは何も残っておらず、多くの謎を残していましたが、1999(平成11)年2月に阿倍寺跡の発掘調査が行われ、まぼろしの阿倍寺の解明に迫ることができる溝を発見しました。幅2・2m、東西66m以上、南北34m以上の直角に曲がる大溝で、中からは、飛鳥時代から寺が絶えた16世紀初め頃までの瓦や土器がたくさん出土し、古墳時代の埴輪や15〜16世紀頃の中国製の陶磁器も発見されました。瓦の年代をみると、阿倍寺が建てられたのは、1㎞ほど北にある四天王寺より少し遅く、7世紀後半と考えられます。強大な勢力のもと広大な地域を有していた阿倍寺松長大明神付近にあった塔心礎とうしんそ(塔の中心の柱を支える礎石)や、その北側にあった土壇どだんの跡などから、この付近に阿倍寺の金堂や講堂など、相当規模の堂塔伽藍どうとうがらんが存在していたと思われ、発掘では創建期である白鳳はくほう・奈良時代の重弧文軒平瓦じゅうこもんのきひらかわら・蓮華文れんげもん軒丸瓦のきまるかわらが出土しています。寺域は阿倍寺千軒といわれるほど広く、現在の近鉄大阪阿部野橋駅の南あたりから、松虫通を越えて阿倍王子神社に連なるくらい広大なものでした。調査地北東から阿倍寺跡を望む瓦が多く見つかった場所塔心礎跡礎石のあった土壇調査地庚申街道

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