大阪の地は遠く3万年以上も前の旧石器時代から人類が住みはじめました。縄文時代には森ノ宮遺跡の貝塚にみられるように狩猟や採集で生活していたようです。弥生時代には稲作が広まり、多くの集落ができました。その後、応神天皇や仁徳天皇の時代には、港であった難波津が大陸文化の玄関口として、大陸からの渡来地・使節往来の拠点として栄えました。
大阪が歴史の表舞台に踊り出たのは西暦645年の「大化の改新」以降。孝徳天皇は、それまで都の地・飛鳥を離れて、難波長柄豊碕宮に都を移し(前期難波宮)、日本の政治・文化の中心地となりました。その後、都は近隣の奈良や京都に移りましたが、文化・通商の玄関口としての役割は変わることなく繁栄を続けました。
平安時代には天満橋から北浜にあった渡邊津が、熊野詣の起点になりました。渡邊津から四天王寺、住吉大社を経て熊野へ通じる熊野街道を多くの人々が行き来しました。その後、室町時代には上町台地の北端に本願寺と寺内町が築かれ繁栄しました。さらに1583年、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、本願寺のあったところに巨大華麗な大坂城を築城し、城下町・大阪が誕生しました。秀吉は各地から商人を移住させ、産業の集中を図り、海外貿易にも力を入れた結果、大阪は当時世界でも有数の大都市として発展しました。
江戸時代になると、政治の中心は東京に移りましたが、大阪は「天下の台所」として、国内最大の経済都市としてますます栄えました。この時代、大阪では町民を中心とした文化が成熟し、「曽根崎心中」に代表される「上方文化」の花が咲き、さらに福沢諭吉や大鳥圭介を育てた適塾に代表される官制の学問にとらわれない私塾による学問も大阪に根を下ろしました。現在まで連綿と続く大阪の開放的な気風や旺盛な企業家精神は、この時代に育ち、やがて近代の大都市となる豊かな地盤がつくられる力の源になりました。
その後、19世紀には、明治維新と近代国家成立に向けての混乱により大阪商人は非常な打撃を受けましたが、その低迷から脱出、工業都市として発展を遂げ、近代都市への脱皮を図りました。第二次世界大戦による空襲の大被害からも立ち上がった大阪は、日本を代表する商業の都として、流通に、貿易に、工業に大きな役割を果たしてきました。そして今、大阪は内外の人・物・情報が交流する世界都市へとさらに大きく飛躍する時代を迎えようとしています。












