福田平八郎 漣

漣

福田平八郎 《漣》(さざなみ)1932年(昭和7) 絹本白金地着色 156.6×185.8cm

作品解説

福田平八郎は若い頃から水辺の光景を画題にしていますが、40歳で描いた《漣》は水鳥や草木などは描かず、水面に揺れる波だけを絵にしたことで、それまでの日本画の常識を覆す新しさを示しました。釣りをしていた画家は、湖の表面で肌にも感ぜぬ微風が美しいさざなみを作っているのを見て絵の着想を得ます。瞬間の動きで変化する波の形をつかむため、スケッチや下図で構図を練り、陽を浴びてさざめく波が揺らぎを静かに遠くまで運ぶ様子を簡潔に表現しました。発表時の第13回帝展では賛否両論ありましたが、近代日本画が新境地を開いた先駆的な試みとして高く評価されています。プラチナ箔の上に群青の顔料が置かれた画面の、プラチナ箔の下に金箔が重ねられていたことが、近年の修復で判明しています。

作家紹介

福田平八郎 FUKUDA Heihachiro 1892–1974

1892年(明治25)、大分に生まれる。京都市立美術工芸学校で竹内栖鳳や西山翠嶂らに学び、あらためて入学した京都市立絵画専門学校を1918年(大正7)卒業。1919年(大正8)、第1回帝展に《雪》で初入選。1921年(大正10)、第3回帝展では《鯉》で特選を受賞。1924年(大正13)より1937年(昭和12)まで母校の京都市立絵画専門学校で教鞭をとる。帝展、新文展の審査員をつとめ、1930年(昭和5)、六潮会を中村岳陵、山口蓬春、牧野虎雄、木村荘八らと結成。戦後は日展の常任理事、顧問を歴任。1974年(昭和49)、京都市にて82歳で死去。

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