裸婦 赤松麟作

裸婦

赤松麟作 《裸婦》 昭和初期 油彩,カンヴァス 61.0×80.5cm

作品解説

「人物の赤松」と生前から評されたように、赤松麟作は人物画を得意としました。本作品の自然の中に横たわる裸婦という画題は、師黒田清輝やその師ラファエル・コランに通じるもので、 印象的な木漏れ日の表現も師の外光派の作風を思わせます。足を崩して座る裸婦は、とても自然なポーズでくつろいでいますが、そこには赤松の的確な人体把握とデッサン力が見て取れます。全体がうすい影におおわれる中、木々の隙間から注ぐ光は、 滑らかな肌の上に鮮やかな斑点を描き、裸婦の存在を際立たせています。卓越した写実描写に、全体に満ちる美しい色どり、計算された光の表現が加わったこの作品は、 穏やかな雰囲気と優美さをたたえており、師の作風を受け継ぎながらも赤松の裸婦に発展させたものといえるでしょう。本作が描かれたと考えられる昭和初期、すでに西洋の前衛表現がもたらされ、 赤松の門下でも抽象表現を試みる青年画家たちが現れましたが、赤松自身はデッサンを重視する姿勢を貫き、写実に基づく表現を生涯にわたって保ち続けました。

作家紹介

赤松麟作 AKAMATSU Rinsaku 1878–1953

1878年(明治11)、岡山県津山市に生まれる。五歳ごろ家族とともに大阪に転居。山内愚僊の内弟子となり油彩画を学ぶ。1897年(明治30)、東京美術学校西洋画科入学、黒田清輝に師事。 卒業後は中学校の教員をつとめながら、1901年(明治34)の第1回白馬会展に《夜汽車》を出品し、白馬会を受賞する。1904年(明治37)、大阪朝日新聞社に挿絵画家として入社、1917年(大正6) に退社するまで肖像画や風刺画に腕を振るった。大阪洋画教育の先駆者としても活躍し、1908年(明治41)に梅田に洋画塾を開設、勝山通に移転したのち、 1926年(大正15・昭和元)には心斎橋の丹平ハウス内に赤松洋画研究所を開設した。戦後は大阪市立美術館付属美術研究所で指導にあたるなど、生涯を通して大阪の洋画教育に尽力し、 佐伯祐三をはじめ数々の後進を輩出した。1953年(昭和28)、大阪市で死去。

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