「具体」の歴史

前期 1954 - 1957年

「具体美術協会」(具体)は、吉原治良をリーダーとして、1954年(昭和29)に芦屋で結成されました。翌1955年(昭和30)に、「具体」としての初のグループ展である第1回具体美術展(具体展)を東京で開催、さらに翌年の『芸術新潮』12月号の誌上で、吉原が「具体美術宣言」を発表します。

「具体」の前期からのメンバーには、上前智祐嶋本昭三正延正俊山崎つる子吉田稔郎浮田要三金山明白髪一雄白髪富士子鷲見康夫田中敦子村上三郎元永定正坪内晃幸などがいます。 吉原の「人のまねをするな」との指導のもとで、絵具の滴りや塊が画面に躍る斬新な抽象絵画が制作され、体を張ったパフォーマンスがなされました。野外での展示や、劇場の舞台の上での作品発表も試みられ、世界的に見てもきわめて先鋭的な活動が繰り広げられました。

「具体」は結成当初から出版にも力を入れており、1955年(昭和30)1月に機関誌『具体』を創刊、国内だけでなく海外にも送付し、このグループの存在を広くアピールしました。同時代のアメリカの著名な前衛画家、ジャクソン・ポロックも『具体』誌を手にした一人でした。

『具体』誌第1号(1955年)

『具体』誌第1号(1955年)

第1回具体展 案内はがき(1955年)

第1回具体美術展 案内はがき(1955年)

第1回具体展の案内(1955年)

第1回具体美術展の案内(1955年)

1954年
(昭和29)
8月頃
「具体美術協会」(具体)結成
1955年
(昭和30)
1月
機関誌『具体』創刊(以後、1965年の第14号まで刊行)
7月 –
8月
芦屋公園の「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」に出品
10月
東京の小原会館で第1回具体美術展を開催
1956年
(昭和31)
4月
アメリカの雑誌『ライフ』が具体の作家たちを取材、また同誌のため尼崎の武庫川尻の廃墟で「一日だけの野外展」を開催
7月 –
8月
芦屋公園で野外具体美術展を開催

10月
東京の小原会館で第2回具体美術展を開催
12月
『芸術新潮』12月号の誌上で吉原治良が「具体美術宣言」を発表
1957年
(昭和32)
4月
京都市美術館で第3回具体美術展を開催
5月
大阪・産経会館で「舞台を使用する具体美術」を開催(東京でも7月に産経ホールで開催)
10月
東京の小原会館で第4回具体美術展を開催

中期 1957-1965年

1957年(昭和32)に、フランス人の美術評論家ミシェル・タピエが来日し、大阪で「具体」を訪ねました。タピエは、絵具の物質性や描き手の身振りを重視した、「非定形」という意味の新しい抽象芸術運動「アンフォルメル」を提唱した人物でした。

タピエは「具体」を絶賛し、「世界・現代芸術展」「新しい絵画 世界展 ―アンフォルメルと具体―」などの展覧会を日本で開催、「具体」をアンフォルメルとともに時代の先端をゆくアートとして世に示しました。

タピエとの出会いは「具体」にとって大きな転機でした。これを機に海外への扉が開かれ、1958年(昭和33)には「具体」としての初の海外展をニューヨークで開催、以後も欧米でたびたび展覧会を開き、その名を世界に広めます。

タピエの影響は作品自体にも及びます。これまでは様々な素材を実験的に取り入れ、作品制作とともにパフォーマンスにも力を入れていたのに対し、タピエに出会ってからの「具体」は、海外展や作品売買に適した絵画作品・平面作品の制作に重点が移りました。

1962年(昭和37)には、吉原が所有していた古い土蔵を改装した展示スペース、グタイピナコテカを大阪の中之島に開設、「具体」のグループ展やメンバーの個展に加え、海外作家の展覧会も開くなど、「具体」の活動拠点としました。

1960年代前半には、向井修二前川強名坂有子松谷武判など、前期メンバーとは傾向の異なる新世代の作家たちが「具体」に加入し、新風を吹き込みました。

1957年
(昭和32)
9月
ミシェル・タピエが来阪、「具体」と親交を結ぶ
10月
東京・ブリヂストン美術館でタピエの企画によるアンフォルメルの国際展「世界・現代芸術展」が開催され、吉原治良らが出品(同展は12月に具体の主催で大阪・大丸でも開催)
「新しい絵画 世界展 ―アンフォルメルと具体―」(1958年)パンフレット

「新しい絵画 世界展 ―アンフォルメルと具体―」パンフレット(1958年)

1958年
(昭和33)
4月
大阪・朝日会館で「舞台を使用する具体美術 第2回発表会」を開催
4月
大阪・なんば髙島屋で、タピエと吉原治良の共催による「新しい絵画 世界展 ―アンフォルメルと具体―」が開かれる(長崎、広島、東京、京都にも巡回)
4月
東京の小原会館で第2回具体小品展を開催(後に第5回具体美術展として位置付けられる)
9月 –
10月
ニューヨークのマーサ・ジャクソン画廊で、「具体」グループ展(後に第6回具体美術展として位置付けられる)を開催(以後、全米各地を巡回)
1959年
(昭和34)
2月
イギリスのBBCテレビのカメラマンが「具体」作家の制作風景を取材
6月
イタリアで第7回具体美術展を開催(アルティ・フィギュラティヴィ画廊、トリノ)
8月
京都市美術館で第8回具体美術展を開催(東京の小原会館でも9月に開催)
海外で初めて「具体」の特集記事が掲載されたイタリアの雑誌

海外で初めて「具体」の特集記事が掲載されたイタリアの雑誌"Notizie"(1959年4月号)

1960年
(昭和35)
4月
大阪・なんば髙島屋の屋上でアドバルーンを使ったアンフォルメルの国際展「国際スカイフェスティバル」を主催、なんば髙島屋3階ホールで第9回具体美術展を同時開催
『具体』誌第11号(1960年)※「国際スカイフェスティバル」を特集

『具体』誌第11号(1960年)
※「国際スカイフェスティバル」を特集

1961年
(昭和36)
4月
大阪・なんば髙島屋で第10回具体美術展を開催(東京・日本橋髙島屋でも5月に開催)
1962年
(昭和37)
4月
大阪・なんば髙島屋で第11回具体美術展を開催
9月
大阪中之島にグタイピナコテカを開設(8月に開館披露パーティーを開催)
11月
大阪・サンケイホールで「だいじょうぶ月は落ちない〈具体美術と森田モダンダンス〉」を開催
グタイピナコテカのパンフレット(1962年)

グタイピナコテカのパンフレット(1962年)
※開館当初は「グタイ ピナコセカ」と称しました

ミシェル・タピエの献辞(1962年)

ミシェル・タピエの献辞(1962年)
※グタイピナコテカ開館時に書かれ、ロビーに展示されていました

1963年
(昭和38)
1月
東京・日本橋髙島屋で第12回具体美術展を開催
4月
大阪・なんば髙島屋で第13回具体美術展を開催
1964年
(昭和39)
3月
大阪・なんば髙島屋で第14回具体美術展を開催

後期 1965-1972年

1960年代半ばからの「具体」には、大きな路線の変化が見られます。幾何学的抽象、工業用素材やモーターの使用など、当時の最先端の傾向に取り組む作家たちが、1965年(昭和40)の第15回具体美術展を機に、多く新メンバーに迎え入れられました。本コーナーで紹介している作家では、今井祝雄高崎元尚堀尾貞治松田豊が、ここに含まれます。

同じ頃、前期からのメンバーも作風を転じており、リーダーの吉原治良は、彼の代名詞ともなる「円」の作品を手掛けるようになります。

後期「具体」の活動は、高度経済成長という時代の流れの反映でもあり、そのハイライトである日本万国博覧会が1970年(昭和45)に大阪で開かれると、「具体」はグループを挙げてこの大イベントに参加しました。

万博の翌年の1971年(昭和46)には、前年に都市計画による立ち退きのために閉館したグタイピナコテカに代わるものとして、グタイミニピナコテカが開設されました。

戦後の関西を中心に華々しい活動を繰り広げてきた「具体」でしたが、1972年(昭和47)2月10日にリーダーの吉原治良が急死、まもなく「具体」は解散し、その歴史に突然ピリオドが打たれました。

パリにおける「具体」グループ展[パリ具体美術展](1965–1966年)のパンフレット

パリにおける「具体」グループ展[パリ具体美術展]のパンフレット(1965–1966年)

1965年
(昭和40)
7月
グタイピナコテカで第15回具体美術展を開催
10月
東京の新宿京王百貨店で第16回具体美術展を開催
10月
『具体』誌第14号発行、この号をもって終刊
11月 –
翌年1月
パリのスタドラー画廊で「具体」グループ展[パリ具体美術展]を開催、この後、ドイツのケルン、オランダのルーネルスロートを巡回
1966年
(昭和41)
6月
第2回ローザンヌ国際画商展(州立美術館、ローザンヌ、スイス)にグタイピナコテカが招待され、会員全員が出品
9月
横浜の髙島屋で第17回具体美術展を開催(グタイピナコテカでも10月に開催)
1967年
(昭和42)
5月
「具体」に神戸新聞平和賞(文化賞)が授与される
6月
グタイピナコテカで具体美術新作展を開催(後に第18回具体美術展として位置付けられる)
6月
オーストリアの「具体」グループ展[「具体」オーストリア展](ハイデ・ヒルデブランド画廊、クラーゲンフルト)に出品
10月
東京のセントラル美術館で第19回具体美術展を開催(グタイピナコテカでも11月に開催)
1968年
(昭和43)
7月
グタイピナコテカで第20回具体美術展を開催
11月
グタイピナコテカで第21回具体美術展を開催
1970年
(昭和45)
3月 –
9月
大阪の日本万国博覧会に「具体」で参加:「万国博美術展」への出品|みどり館エントランスホールにおける「グタイグループ展示」|お祭り広場における「具体美術まつり」の開催(8月31日–9月2日)
4月
グタイピナコテカを閉館
グタイピナコテカ閉館のごあいさつ/吉原治良展の案内/現グタイピナコテカ最終展の案内(1970年)

(左から)グタイピナコテカ閉館のごあいさつ|吉原治良展の案内|現グタイピナコテカ最終展の案内(1970年)

1971年
(昭和46)
10月
大阪中之島にグタイミニピナコテカを開館
1972年
(昭和47)
2月10日
吉原治良が死去
3月末日
具体美術協会解散
4月
グタイミニピナコテカを閉鎖
(左から)具体美術協会解散ご挨拶と、同封の「具体美術17年の記録」展案内(1972年)

(左から)具体美術協会解散ご挨拶と、同封の「具体美術17年の記録」展案内(1972年)

参考文献:
平井章一編著『「具体」ってなんだ? ― 結成50周年の前衛美術グループ18年の記録』(美術出版社、2004年)
『「具体」 ― ニッポンの前衛 18年の軌跡』展カタログ(国立新美術館、2012年)

グタイピナコテカ
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