グタイピナコテカ

グタイピナコテカは、中之島(大阪市北区宗是町33)にあった吉原治良所有の明治時代の土蔵を改修した展示施設で、1962年(昭和37)にオープンしました。「ピナコテカ」とは「絵画館」や「画廊」を意味する言葉で、「具体」の活動に大きく関わったフランス人美術批評家のミシェル・タピエが命名したものです。

この展示場は、具体美術展や会員の個展、具体美術小品展、具体美術新人展などが定期的に開催されるなど、具体美術協会の活動拠点であっただけでなく、フォンタナやカポグロッシ、サム・フランシスら海外作家の展覧会も行われ、大阪における現代美術を紹介する場としても機能しました。先端の美術動向を示す場として注目度も高く、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、イサム・ノグチなどの美術家や、音楽家のジョン・ケージ、美術批評家のクレメント・グリーンバーグなど、海外の著名な美術関係者もしばしば訪問し、活発な交流が行われました。

グタイピナコテカのパンフレット(1962年)の表紙(左)と中のページ(右上下/部分)

グタイピナコテカのパンフレット(1962年)の表紙(左)と中のページ(右上下|部分)
開館当初は「グタイピナコセカ」と表記されていました

ミシェル・タピエによる献辞(1962 年)

ミシェル・タピエによる献辞(1962年)
グタイピナコテカ開館時に書かれ、
ロビーに展示されていました

グタイピナコテカ友の会会報『ピナコテカ』第1号(1963年)の表紙(左)と中のページ(右|部分)右の写真は上掲の献辞を書くミシェル・タピエ

グタイピナコテカ友の会会報『ピナコテカ』第1号(1963年)の
表紙(左)と中のページ(右|部分)
右の写真は上掲の献辞を書くミシェル・タピエ

グタイピナコテカ外観

グタイピナコテカ外観

グタイピナコテカ2階展示室(1964年)

グタイピナコテカ2階展示室(1964年)

グタイピナコテカ展示室(1964年)

グタイピナコテカ展示室(1964年)

グタイピナコテカ入口

グタイピナコテカ入口

グタイピナコテカ展示室(1966年)

グタイピナコテカ展示室(1966年)

 

 

 

具体美術協会解散ご挨拶・「具体美術17年の記録」展案内の封筒(部分)(1972年)

具体美術協会解散ご挨拶・「具体美術17年の記録」展案内の封筒(部分)(1972年)

グタイピナコテカは1970年(昭和45)4月、阪神高速道路出入口建設のため閉館し、取り壊されました。吉原治良は、翌年10月にグタイミニピナコテカを開設、活動を継続するとともに、新グタイピナコテカの建設を計画していましたが、1972年2月の急死により実現しませんでした。

グタイピナコテカ・グタイミニピナコテカのあった場所(現在の地図)

吉原治良・~その生涯と作品
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