吉原の生涯

吉原治良略年譜
吉原治良作品
1905年
(明治38)

0歳

1月1日 父吉原定次郎、母アイの次男として大阪市東区大川町に生まれる。

生家は淀屋橋南詰に位置し植物油問屋「吉原商店」を営んでいたが、御堂筋の拡張により、後年中之島3丁目に移転した。

1917年
(大正6)

12歳

大阪府立北野中学校(現在の大阪府立北野高校)に入学。

1919年
(大正8)

14歳

この頃、絵に関心を深め、油絵の道具を購入して、山本鼎の『油絵の描き方』を手本に独学で油絵をはじめる。

1922年
(大正11)

17歳

3月 北野中学校を卒業。

1923年
(大正12)

硝子瓶の静物(1923年)

硝子瓶の静物

油彩,カンヴァス
37.4×45.7cm

1924年
(大正13)

19歳

4月 関西学院高等商業学部に入学。

1926年
(大正15・
昭和元)

21歳

この頃、兵庫県武庫郡精道村(現在の芦屋市)に移る。

1927年
(昭和2)

22歳

この頃、芦屋に居住していた上山二郎と出会い、ヨーロッパの文化や新しい美術の動向に触れるとともに、彼の作品から強い影響を受ける。

前年に結成された阪神間の若手美術家のグループ「艸園会」に入会する。

1928年
(昭和3)

黒い帽子の自画像(1928年頃)

黒い帽子の自画像

油彩,カンヴァス
53.2×45.7cm

魚・朝顔等(1928年)

魚・朝顔等

油彩,カンヴァス
73.3×100.0 cm

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23歳

4月 関西学院高等商業学部を卒業し、研究科に進学。

11月 吉原治良油絵個人展覧会を大阪朝日会館で開催。《鮭のある静物》《手桶の菖蒲》など56点の油彩と2点のデッサンを発表。「魚の画家」として注目される。

12月 関西学院研究科を退学し吉原定次郎商店に入社する。

1929年
(昭和4)

水族館(1929–1932年頃)

水族館

油彩,カンヴァス
65.0×89.5cm

24歳

4月 奥田千代と結婚。

6月 西宮今津工場が発足。工場長となって工場内にはアトリエを構える。

9月23日 上山二郎の紹介で、17年ぶりに帰国した藤田嗣治を神戸港に出迎え、翌日上山とともに滞在先の今橋ホテルに作品を持参。批評を請う。この時、藤田から作品に見られる他者からの影響を厳しく指摘され、オリジナリティの重要性を強く認識する。

この頃より、海辺に様々なオブジェが現れるシュルレアリスム風の作品を手掛ける。

1930年
(昭和5)

手とカード(1930年頃)

手とカード

油彩,カンヴァス
45.5×33.5cm

1931年
(昭和6)

朝顔の女(1931–1933年頃)

朝顔の女

油彩,カンヴァス
72.7×60.8cm

縄をまとう男(1931–1933年頃)

縄をまとう男

油彩,カンヴァス
99.5×80.0cm

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麦稈帽と仕事着(麦藁帽子と仕事着B)
(1931–1933年頃)

麦稈帽と仕事着(麦藁帽子と仕事着B)

油彩,カンヴァス
90.8×72.7cm

錨と歯車(1931–1933年頃)

錨と歯車

油彩,カンヴァス
90.0×60.8cm

26歳

8月 長男眞一郎が生まれる

1933年
(昭和8)

風景(風景B)(1933–1934年頃)

風景(風景B)

油彩,カンヴァス
91.5×116.6cm

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28歳

2月 次男通雄が生まれる。

1934年
(昭和9)

29歳

3月 前年秋に帰国した藤田嗣治が西宮・甲子園ホテルに滞在。京都方面を案内し、約30点の作品を見せて褒められる。

9月 藤田の勧めで、第21回二科展に初出品し、《帆柱》《麦桿帽と仕事着》《錨と貝の花》《風景》《朝顔の女》の5点すべてが入選。

11月 吉原治良油絵個人展覧会を銀座・紀伊国屋ギャラリーで開催。《上高地》《縄を纏う男》《造花と貝殻》など20点の作品を発表。

12月 吉原定次郎商店が株式会社組織となり、監査役に就任。会社は翌年7月、独立していた工場部門と合併し、社名を吉原製油株式会社とする。

1935年
(昭和10)

風景(1935年頃)

風景

油彩,カンヴァス
116.2×91.1cm

1936年
(昭和11)

手袋

東郷青児著
『手袋』
(1936年、昭森社刊)
装幀:吉原治良

カルバドスの唇

東郷青児著
『カルバドスの唇』
(1936年、昭森社刊)
装幀:吉原治良

1937年
(昭和12)

夜・卵・雨(1937年)

夜・卵・雨

油彩,カンヴァス
117.3×91.5cm

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作品イ(1937–1938年頃)

作品イ

油彩,カンヴァス・板
158.8×139.2cm

32歳

9月 第24回二科展に《図説》《夜・卵・雨》《隔世》など、純粋抽象による絵画5点を出品し特待賞を受賞。

1938年
(昭和13)

作品ロ(1938–1939年頃)

作品ロ

油彩,カンヴァス
91.0×117.0cm

33歳

10月 二科会の前衛作家による「九室会」結成に参加、会員となる。大阪支部の代表となり、事務所を自宅に置く。

この頃、前衛美術が次第に抑圧される情勢の中、風景や植物などをテーマにしながら造形性を追求した作品を描く。

1939年
(昭和14)

作品A(1939–1940年頃)

作品ロ

油彩,カンヴァス
116.5×91.0cm

1940年
(昭和15)

雪山(1940年)

雪山

油彩,カンヴァス
91.2×116.4cm

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35歳

1月 三男和男が生まれる。

10月 紀元2600年奉祝美術展に《雪山》を出品。

12月 四男忠男が生まれる。

1941年
(昭和16)

36歳

2月 吉原製油株式会社取締役に就任。

9月 第28回二科展に《夕立に飛ぶ飛行艇》《くちなしの花と貝殻》を出品し、会員に推挙。

1942年
(昭和17)

菊(ロ)(1942年)

菊(ロ

油彩,カンヴァス
91.0×72.5cm

1944年
(昭和19)

防空演習(1944–1945年頃)

防空演習

油彩,カンヴァス
130.6×160.5cm

39歳

この秋、一人で自宅の庭に防空壕を掘ったのがたたり、胸の病気が再発。そのため徴兵再検査も失格となる。

1945年
(昭和20)

40歳

2、3月の大阪大空襲の後、家族とともに父の郷里である兵庫県有馬郡上大沢村に疎開。疎開先で敗戦を迎える。

戦後まもなく東郷青児から二科会再建の報せを受け、関西支部の代表として奔走。

戦後は、抽象から転じて再び人間を取り上げ、子どもや女性の顔を描いた作品を手掛けた。やがて鳥と人を組み合わせた連作へと発展した。

1947年
(昭和22)

子供たち(花と子供たち)(1947年)

子供たち(花と子供たち)

油彩,カンヴァス
117.0×91.2cm

レダ(鳥と女)(1947年頃)

レダ(鳥と女)

油彩,カンヴァス
145.3×112.7cm

42歳

8月 「汎美術家協会」の結成に参加、会員となる。

1948年
(昭和23)

きりん

『きりん』
(1948年4・5月合併号)
表紙:吉原治良

43歳

4月29日 「芦屋市美術協会」創立、代表となる。以後、1972年に没するまで同協会主催の「芦屋市美術展覧会」(第4回以降は「芦屋市展」)、「児童創作美術展」(後の「童美展」)の審査員を務める。

この頃から、自宅のアトリエに若い美術家たちが集まるようになる。

1949年
(昭和24)

鳥と人間(1949年)

鳥と人間

油彩,カンヴァス
162.1×130.7cm

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1950年
(昭和25)

鳥と少女(1950年)

鳥と少女

油彩,カンヴァス
91.2×72.6cm

静かなる夜(1950年)

静かなる夜

油彩,カンヴァス
97.2×130.2cm

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1952年
(昭和27)

絵画(1952年)

絵画

油彩,カンヴァス
191.7×258.8cm

47歳

11月 「現代美術懇談会〔ゲンビ〕」の発足に参加し植木茂、須田剋太、田中健三、中村真、山崎隆夫とともに幹事となる。

この頃より再び抽象絵画に転じ、針金のように細い線描による表現や、絵具を盛り上げた物質感を復活させた。

1953年
(昭和28)

作品B(1953年)

作品B

油彩,カンヴァス
130.0×97.2cm

48歳

この頃、井上有一、森田子龍ら「墨人会」の書家たちと交友を持ちしはしば座談会に出席、『墨美』『墨人』に作品評などを書く。

1954年
(昭和29)

詩人祭に寄せる絵画(1955年)

詩人祭に寄せる絵画

油彩,ボード
24.3×33.0cm

49歳

8月 「具体美術協会」を結成し代表となる。

吉原の具体美術協会での活動については、「『具体』の歴史」のページをご覧下さい。

12月 父定次郎死去。

1955年
(昭和30)

作品A(1955年)

作品A

白セメント,板
91.5×61.0cm

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作品A(1955年)

作品A

油彩,カンヴァス
163.0×131.5cm

50歳

1月 機関誌『具体』発刊

2月 吉原製油株式会社取締役社長に就任。

7月 真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展を芦屋公園で開催、3点を出品。

10月 第1回具体美術展を東京小原会館に開催しセメントの作品など6点を出品。以後、全ての具体美術展に出品。

1956年
(昭和31)

51歳

12月 『藝術新潮』12月号誌上に「具体美術宣言」を発表。

1957年
(昭和32)

52歳

この頃、「アンフォルメル」の提唱者ミシェル・タピエと画家ジョルジュ・マチュー、今井俊満らが来阪し、中之島の吉原宅に滞在、交流が始まる。

12月 タピエの企画した日本で初めてのアンフォルメルの展覧会「世界・現代芸術展」に出品。

1958年
(昭和33)

作品(1958年)

作品

油彩,カンヴァス
161.8×130.4cm

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53歳

4月 「新しい絵画 世界展 ―アンフォルメルと具体―」展をタピエとともに企画し、《作品》2点を出品。同展は大阪を立ちあがりに全国を巡回。

1959年
(昭和34)

54歳

5月 イタリア・トリノでの「新しい芸術 ― 絵画と彫刻の国際展」〔Arte Nuova Exposizione Internazionale di Pittura e Scultura〕に《作品》を出品。

11月 パリでの「メタモルフィスム展」〔Metamorphismes〕に《作品》を出品

1960年
(昭和35)

55歳

4月 インターナショナル・スカイ・フェスティバルを開催。大阪での空中を会場としたアンフォルメルの展覧会で、作品も発表。

1961年
(昭和36)

作品(1961年)

作品

油彩,カンヴァス
181.5×273.2cm

1962年
(昭和37)

57歳

8月25日 グタイピナコテカ開館披露パーティー。

9月 グタイピナコテカ開設記念展を開催、《夜の鳥》などの作品を出品。

9月 イタリアで開催の「トリノでの出会い -アメリカ、ヨーロッパと日本の画家たち-」展〔L’Incontro di Torino-Pittori d’America, Europea,e Giappone〕に《作品(円)》を出品。

この頃より、厚い絵具による線描で、単色の背景に「円」が描かれるようになる。

1963年
(昭和38)

作品(1963年)

作品

油彩,カンヴァス
90.9×72.9cm

作品(White Circle on Red)(1963年)

作品(White Circle on Red)

油彩,カンヴァス
194.0×259.0cm

1964年
(昭和39)

59歳

1月 ニューヨークでのグッゲンハイム国際賞展〔Guggenheim International Award 1964〕に《Painting》を出品

10月 ワシントンDCでの現代日本美術展〔The Contemporary Japanese Art〕に《White Circle on Red》《White Circle on Black》《Black Circle on White》を出品。同展は翌年12月まで全米を巡回。

1965年
(昭和40)

作品(1965年)

作品

アクリル,カンヴァス
182.2×227.0cm

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作品(1965年)

作品

アクリル,カンヴァス
181.8×227.5cm

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60歳

1月 吉原治良の60回目の誕生を祝う記念展(大阪・グタイピナコテカ)を開催し、戦前戦後の代表作多数を出品

1966年
(昭和41)

DOUBLE CIRCLE(1966年)

DOUBLE CIRCLE

油彩・アクリル,カンヴァス
182.3×227.3cm

61歳

8月 吉原製油株式会社取締役会長兼社長に就任。

1967年
(昭和42)

作品(白地に黒縦一)(1967年)

作品(白地に黒縦一)

アクリル,カンヴァス
181.7×182.2cm

62歳

4・5月 吉原治良展を銀座・東京画廊に開催、前期は円を中心とする近作の《作品》約15点、後期は《海辺の静物》《図説》など初期作品約22点を出品。

5月 第9回日本国際美術展に《白い円》を出品し国内大賞を受賞。

6月 「わが心の自叙伝」を神戸新聞に連載(4日–7月9日)

1969年
(昭和44)

64歳

7月 第1回ヒロシマルネッサンス美術展に《白地に黒》《黒地に白》を出品、審査員を務める。

1970年
(昭和45)

白地に黒い円(1970年)

白地に黒い円(1970年)

油彩,カンヴァス
194.1×259.3cm

65歳

3月 万国博美術展<現代の躍動の部>に《青と赤》を出品。

4月 吉原治良展(大阪・グタイピナコテカ)を開催、A室(1936–1956)、B室 (1957–1970)に作品75点を展示。
現グタイピナコテカ最終展を開催。

阪神高速道路出入口建設のため、グタイピナコテカを閉館する。同時に近隣にあった中之島の本宅も取り壊しとなる。

12月20日 二科会理事を辞し、同会を退会。

1971年
(昭和46)

作品(1971年)

作品

アクリル,カンヴァス
131.0×162.3cm

66歳

1月 第2回インド・トリエンナーレ〔The 2nd lndia Triennale, World Art〕に《White Circle on Black》《Black Circle on White》を出品しゴールドメダルを受賞。

10月2日 大阪市北区宗是町大ビル西側別館1階にグタイミニピナコテカを開設。
グタイミニピナコテカ開設記念展に《作品》を出品。

1972年
(昭和47)

67歳

1月18日 蜘蛛膜下出血により自宅で倒れる。

2月10日 午後7時15分、市立芦屋市民病院にて死去。

3月31日 具体美術協会解散。

この年 従五位勲四等旭日小綬賞が追贈される。

本年譜は『生誕100年記念 吉原治良展』カタログ(2005年)所収の年譜(吉原治良研究会編)より、主要な事項を抜粋し、画風の変遷についての記述を追加したものです。

右欄の作品名は、数度の回顧展などで採用された通称を踏襲していますが、吉原が展覧会に出品した折のタイトルにもどしたものもあります。

吉原の作品
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