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暗越奈良街道と道標(くらがりごえならかいどうとどうひょう)

2016年2月24日

ページ番号:318

■ 暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)

 大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道です。

 大阪高麗橋を起点として西から東へと通じ、暗越と呼ばれるように、生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来があります。この奈良街道が開けていないその昔は、大阪から奈良へは日本最古の国道である竹の内街道が唯一のもので、奈良街道よりはるかに長いコースでした。

暗越奈良街道道標

暗越奈良街道道標

当時の街道を偲ばせる大今里3丁目付近
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今も当時の街道を偲ばせる雰囲気が残る大今里3丁目付近

 

 暗越奈良街道は、区内の玉造から中道を通り、玉津橋を右手に曲がりながら、東成警察署前から大今里に入り、深江から河内平野を東へ生駒山を越えて奈良に通じます。江戸時代中頃から、全国的にお伊勢参りが盛んとなり、これら多くの旅人で賑わったことが記録に残っています。明治時代に入ると交通機関の発達に伴い、この旧街道は、ほとんど利用されなくなりましたが、明治中頃から大正中頃にかけて中本から河内の瓢箪山まで馬車が通っていました。

  

 大今里3丁目14番、旧街道と今里筋が交差するあたりに設置されている「いまざとならみち」の道標近くには、暗越奈良街道の大きな看板が設置されています。

いまざとならみち道標
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いまざとならみち道標

暗越奈良街道の看板
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暗越奈良街道の看板

暗越奈良街道

シルクロードの終わるところ

 暗越奈良街道は、大阪と奈良を結ぶ最も近い道だ。

  それだけに、古来、様々な人と物とがここを通った。古くは、天平時代、大仏開眼に招かれたインド僧が(736年)、次いで中国の鑑真和上が(753年)、ここを通って奈良の都に入った。正倉院に残る宝物の中にも、この道を運ばれたものが多かったことだろう。この道は、シルクロードの東の端なのだ。

 戦国時代には、大和郡山城主となった豊臣秀長が何度も往来したことだろう。百年余を経た元禄7年(1694年)、松尾芭蕉がここを大阪へと歩いていた。そして、それから十年後(1704年)、大和川の付替えで、遠藤の景観は一変した。多くの川や沼が消え、豊かな綿畑に代わったのだ。

  翌年(1705年)伊勢参りが爆発的に流行した折には、一日7万人がこの道を伊勢に向かっていた。この道は、伊勢街道のはじまりでもあった。

                                                                          堺屋 太一

 

KuragarigoeNara Road

Wherethe Silk Road ends…

Kuragarigoe Nara Road is the shortest route connecting Osaka and Nara .Since ancient times,this road has guided many travelers and cerried a variety of goods.For example ,in 736,during the Tempyo Period,the Indian priest who attended the consecration ceremony for the newly crafted image of Buddha traveled along this road.Moreover ,in 753,the Chinese Buddhist priest Ganjin took this route on his way to Nara,and the numerous treasures that are now held in Shosoin at Todaiji Temple were very likely transported along this route.This road clearly represents the very eastern end of history’s Silk Road.

During the turbulent years of Japan’s history,Toyotomi Hidenagawho became the lord of Yamato Koriyama castlesurely traveled along this road many times.In 1694,more than one hundred years after Hidenaga’s time,the renowned haiku poet Matsuo Basho walked this road on his way to Osaka.And in 1704,the landscape along the road was changed dramatically following the completion of the Yamato River diversion project,an undertaking that converted many local rivers and marshes into rich cotton fields.The following years,in 1705,pilgrimages to the Ise Shrines became tremendously popular,and it is said that 70,000 people a day traveled this road to Ise.This route was the origin of today’s Ise Road.

                                                                        Sakaiya Taichi

■ 道標(どうひょう)

 奈良街道に沿って古い道標(道しるべ)が残されている。中道附近に「暗越奈良街道、距高麗橋元標壱里」と記されている。これは、高麗橋の道路元標からここが一里(約4km)にあたる。現在の道路元標は梅田新道交差点に移されている。大今里西1丁目附近に「常善寺(じょうぜんじ)、左へ三丁」と記された道標があるが、これは江戸時代に大阪の芝居興業と大変深いかかわりをもつ常善寺への道が示されたものであろう。

 大今里4丁目の旧街道と枚岡線の交差する所に「左いせ、なら」と記された、上部を四角にくりぬいて火袋(ひぶくろ)とし、上に笠をのせた珍しい道標がある。文化3年(1806年)に建てられ、夜間明かりを入れて旅人の便をはかったものといわれている。

常善寺への道標の写真です。

常善寺への道標

火袋式道標の写真です。

火袋式道標

 

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