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暗越奈良街道と道標(くらがりごえならかいどうとどうひょう)

[2009年3月16日]

■ 暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)

大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道です。

大阪高麗橋を起点として西から東へと通じ、暗越と呼ばれるように、生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来があります。この奈良街道が開けないその昔は、大阪から奈良へは日本最古の国道である竹の内街道が唯一のもので、奈良街道よりはるかに長いコースでした。

火袋式道標の写真です。

火袋式道標

暗越奈良街道の写真です。

暗越奈良街道道標

 

区内の玉造から中道を通り、玉津橋を右手に曲がりながら、東成警察署前から大今里に入り、深江から河内平野を東へ生駒山を越えて奈良に通じます。江戸時代中頃から、全国的にお伊勢参りが盛んとなり、これら多くの旅人で賑わったことが記録に残っています。明治時代に入ると交通機関の発達に伴い、この旧街道は、ほとんど利用されなくなりましたが、明治中頃から大正中頃にかけて中本から河内の瓢箪山まで馬車が通っていました。

常善寺への道標の写真です。

常善寺への道標

■ 道標(どうひょう)

奈良街道に沿って古い道標(道しるべ)が残されている。中道附近に「暗越奈良街道、距高麗橋元標壱里」と記されている。これは、高麗橋の道路元標からここが一里(約4km)にあたる。現在の道路元標は梅田新道交差点に移されている。大今里西1丁目附近に「常善寺(じょうぜんじ)、左へ三丁」と記された道標があるが、これは江戸時代に大阪の芝居興業と大変深いかかわりをもつ常善寺への道が示されたものであろう。  
大今里4丁目の旧街道と枚岡線の交差する所に「左いせ、なら」と記された、上部を四角にくりぬいて火袋(ひぶくろ)とし、上に笠をのせた珍しい道標がある。文化3年(1806)に建てられ、夜間明かりを入れて旅人の便をはかったものといわれている。

 

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