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050 田辺大根

2017年12月20日

ページ番号:33865

田辺大根

5~6世紀の古墳時代における上町台地の東側(河内平野)はまだ塩分を含む内海湖でしたが、次第に海岸線が後退し、淡水湖となり、大和川や淀川が運ぶ土砂の堆積によって、次第に野菜耕作に適した砂質土壌が形成されました。 
特に江戸中期には大和川の付替工事により、河内平野が広大な干拓農地となり、野菜や木綿の生産地となったのです。
また、大坂は米の集散地として栄え、諸商業が発達したので、食文化も高度化し、所謂食通の人々が増加し、国内外の各地から種々の食材が持込まれ、独特の味を有する農産物が産出されるようになりました。
天保7年(1836)の「新改正摂津国名所旧跡細見大絵図」によると、胡瓜は毛馬、大根は守口や田辺、蕪は天王寺、茄子は鳥飼や新家、まくわ瓜と人参は木津、白瓜は玉造と黒門および木津、くわいは吹田等々と各地に独特の野菜が産出されていました。
明治、大正、昭和と食生活の洋風化し、食生活に季節性が失われ、生産効率や虫害対策、味よりも生産性(低価格)や外形(味に無関係な美形)を重視する消費者嗜好の変化から、これら伝統野菜は品種改良(雑種交配)された新しい品種に駆逐されてしまい、市場から姿を消しました。
しかし、一部の好事家や農家の自家用に伝統野菜の種が残されていたので、この見直し(割高であるが、美味しいくて、無農薬-安全性)を喚起し、零細農家でも採算が合うことにより、農業活性化を意図したプロジェクトに育てようとしています。
田辺では田辺大根の種子が長居地区の農家に伝えられ、普及活動が盛んになり、地域の住民や小学校・幼稚園・保育所などにより栽培されて復活しています。
実際に大根下ろしに利用すると、一般の大根より、ピリッと辛みがあり、ミネラルも豊富とあります。
これは外見が貧相な大根であるが、その分だけ味やミネラル成分が濃厚となっており、その理屈が簡単に理解できます。
実際に自作してその味合いを経験すると、止められなくなるとのことです。

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