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078 松原住宅の並木

2019年1月10日

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南田辺には飛鳥時代の伝承がありますが、山阪神社の南(松原新田)や西田辺(猿が沢山住んでいたので猿山新田)が開発されたのは江戸時代です。
寛文3年(1663)に南田辺村の濱田五兵衛が長らく未開拓であった村の南部の開墾を願い出たので、この地が松原新田と呼ばれます。 (猿山新田は南田辺村の奥田市兵衛の開墾)
また、長池の川筋も松原新田として干拓され、住吉郡田辺村に編入されたのが明治22年4月です。当時、この辺りはまだ野菜農園であって、収穫した田辺大根を山阪神社の南側を東に流れる綺麗な川水で洗っている「のどかな田園風景」が見られました。 
松原住宅の並木

大正3年(1914)4月に南海平野線(061 南海鉄道平野線(廃線)の今昔 参照)が開通し、田辺停留所ができた時にボツボツと住宅開発が始まり、「平野線田辺停留所から南西へ10分」との広告が見られたとのことです。
昭和4年(1929)7月に阪和線が和泉府中まで開通し、南田辺駅(鶴ヶ丘はなく)や臨南寺駅(長居)ができたので、この沿線での住宅建設が次第に盛んとなりました。
その頃の住宅建設は宅地の間を並木が植えられて、大変風情のあるものであって、松原住宅には11本の道路が南北にあり、西から栴檀(センダン)通、銀杏(イチョウ)通、青桐(アオギリ)通などと名付けられていました。 
また、松原住宅の中央部の交差点は円形に広くとられ、かってはここで、バスが転回していたそうです。
しかし、この並木も次第に切り倒されて、今は昔年の面影を失いましたが、ところどころには、まだ、当時の樹木が残されています。

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