ページの先頭です
メニューの終端です。

明教寺(みょうきょうじ)

2018年2月6日

ページ番号:26011

東淀川区下新庄5丁目19-12
明教寺の写真

 文明9年(1477年)、本願寺第8代宗主蓮如上人の教化を受けた直弟子釋教誓(しゃくきょうせい)が開基となりました。明教寺の山号は「城地(じょうち)山」と号し、豊臣秀吉の臣であった中川清兵衛清秀がこの地に本丸を有した城を築いたことが『新庄村明細帳』・『明教寺就御尋奉書上由緒書』などに記されています。また、この地に新しい城を築いたことから、「新城」と称するようになり、のちに「新庄」という地名に転じ、元禄年間に上新庄と下新庄に二分されたといわれています。
 明教寺は、文禄3年(1594年)、元禄14年(1701年)に再建されましたが、宝永4年(1707年)に火災の類焼に遭い、翌年再建、さらに現存の元となる本堂は安永9年(1780年)に第8代住職智曠(ちこう)の時代に再建されました。

明教寺の本堂の写真

 本堂には、親鸞聖人が常陸国で布教中にどんな困難にも耐えようと、石を枕にして寝た故事にちなみ、親鸞聖人の孫である如信(にょしん)上人が正安元年に刻み、唯円坊(ゆいえんぼう)などを経て、教誓に授けられたという、珍しい「親鸞石枕木造」(写真)が現在も安置されています。また、境内には「西涯(さいがい)先生の碑」があります。これは、第13代住職善亮(ぜんりょう:新庄西涯)が豊後日田の広瀬淡窓(たんそう)が開いた「咸宜園(かんぎえん)」で学び、明治19年(1886年)、「修文学館」という私塾を開いて門人を育成したことに対し、その徳を慕って、門人たちが建てた顕彰碑です。

(「広報ひがしよどがわ」平成15年6月号に掲載)

探している情報が見つからない