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大宮(おおみや)

2018年2月6日

ページ番号:26561

東淀川区大道南3丁目2-2
大宮の写真

 大宮は第27代安閑(あんかん)天皇を主祭神として祀られた神社です。安閑天皇はしばしばこの地を訪れ、放牧の適地として奨励されたので、牛を飼い牛乳を固めた酥(そ)というもの(チーズのようなもの)を献上するなど、この土地の発展に尽くされた徳を慕って祭祀されました。そのことにちなんで明治の頃まで「乳牛牧(ちちうしまき・ちちゅうしまき)」という地名が残り、今の大隅東・大隅西小学校は大正15年(1926年)に改称するまで「乳牛牧尋常小学校」と称していました。
 また、この地は聖徳太子の伝承が多く、主祭神御神体の木像は聖徳太子の直作といわれています。聖徳太子は、この地を四天王寺建立の候補地として考えられていましたが、洪水が多かったので結局は今の天王寺に建立されましたが、たびたびこの地を訪れた聖徳太子は42歳のとき、村人達の歓待のお礼にと自画像を描き贈られたことが今に伝えられ奉祀されています。その旧跡であることから、大阪市へ編入される大正14年(1925年)まで「西成郡天王寺庄」と称していました。また、このとき太子の別称豊聡耳(とよとみみ)皇子から「豊里町」と名づけられたといわれています。

大宮の写真

 社殿は、改修前の旧淀川北岸の堤に面してあり、樹齢1000年以上という楠や杉、松の大樹が多数あったので「大宮の森」といわれ、淀川を上る船はこの森を目印に舵を北に取り、帆を逆に巻き上げ進行しました(古地図に逆巻の地名が見られます)。明治33年(1900年)の淀川改修のため明治37年(1904年)に現在地に移建され、明治43年(1910年)に三番の豊国(ほうこく)神社を、大正8年(1919年)に橋寺の橋多賀神社を合祀しました。今も境内は数本の楠につつまれて、本殿、日天(にってん)社、八幡(はちまん)社、楠(くすのき)社、豊光(とよみつ)社などがたたずんでおり、祭事には大勢の人々が訪れます。

(「広報ひがしよどがわ」平成16年8月号に掲載)

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