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平野郷樋之尻口門跡

2019年4月20日

ページ番号:210306

平野郷樋之尻口門跡
戦国時代、平野は堺とならぶ自治都市であった。郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み(一般に「環濠集落」と呼ばれる)郷への出入りは13ヶ所に設けられた木戸口を使って行われた。それぞれに門や地蔵堂があって平野十三口と呼ばれ、この樋之尻口門もその中のひとつである。少し東側の平野川に「樋之尻橋」の名が今もとどめられている。現在、13の木戸口はなくなったが、地蔵堂とその名称によってかつての位置を知ることができる。

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