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【報道発表資料】大阪城天守閣 テーマ展『地中からの遺産―大阪城天守閣収蔵考古資料展―』を開催します

[2010年3月4日]

問合せ先:大阪城天守閣 (06-6941-3045)

平成22年3月4日 14時発表

 大阪城天守閣では、平成22年3月20日(土)から5月5日(水・祝)までの47日間、天守閣内4階展示室においてテーマ展『地中からの遺産―大阪城天守閣収蔵考古資料展―』を開催します。

 展示するのは弥生時代から古墳時代にかけての土器や埴輪、石器、古代の瓦、銅鐸や甲冑といった金属器、安土桃山時代の瓦など173点で、これらを時代ごと、遺跡ごとに紹介します。このように、天守閣が収蔵する考古資料を一堂に集めた展覧会は今回が初めてとなります。

 大阪城天守閣は、豊臣秀吉を中心とした武家の時代の歴史や文化に関する資料や大阪城の歴史に関する資料を多数収蔵し公開する博物館施設として知られています。それだけでなく、大阪城天守閣は昭和6年の開館以来、大阪の郷土史も展示する郷土歴史館として位置づけられたため、たくさんの考古資料を収蔵しています。特にそうした役割が強く求められていた昭和30年代ごろまで、積極的に考古資料の充実をはかっていました。

 展示品の中には、戦前から知られている高安千塚古墳群出土人馬小坩装飾付器台(たかやすせんづかこふんぐんしゅつどじんばしょうかんそうしょくつききだい)といった有名なものや、難波宮跡発見のきっかけになった重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)・複弁蓮華文軒丸瓦(ふくべんれんげもんのきまるがわら)も含まれています。

 近年、これらは武器武具類や安土桃山時代の瓦をのぞいて活用の機会があまりありませんでしたが、今回のテーマ展を機に、改めてそうした考古資料に光をあて、隠れた名品の魅力を紹介してまいります。

開催概要

        名称         テーマ展『地中からの遺産―大阪城天守閣収蔵考古資料展―』

        会期         平成22年3月20日(土)~5月5日(水・祝)  ※47日間

        時間         午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)

          ※桜シーズンの3月20日(土)~4月7日(水)は午後7時まで開館。

          ゴールデン ウイークの4月24日(土)~5月5日(水・祝)は午後6時まで開館。

        主催         大阪城天守閣

        会場         大阪城天守閣4階展示室

        入場料         大人600円、中学生以下、障害者手帳をお持ちの方は無料

                           (大阪城天守閣の平常入場料金)

        出品点数      173点(別紙出品目録のとおり)

   交通機関  地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅(1-B番出口)、「天満橋」駅(3番出口)

           地下鉄中央線「谷町四丁目」駅(9番出口)、「森ノ宮」駅(3-B・1番出口)

           地下鉄長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク」駅(1番出口)、

                           「森ノ宮」駅(3-B番出口)

           大阪環状線「大阪城公園」駅、「森ノ宮」駅

           JR東西線「大阪城北詰」駅

           京阪電車「天満橋」、「京橋」駅

           市バス「大手前」、「馬場町」

           大阪水上バス「大阪城港」「八軒家浜船着場」

           ※いずれの駅からも徒歩約15分~20分

   テーマ展に関するお問い合わせ 大阪城天守閣 06-6941―3044

主要展示品解説

1 満願寺出土袈裟襷文銅鐸(まんがんじしゅつどけさだすきもんどうたく)


 江戸時代後期の文政年間(1818~1831)、現在の兵庫県川西市満願寺の山中から出土した。
 高さは63.5センチで、形式上「突線鈕2式(とっせんちゅう2しき)」に分類される、弥生時代後期前半のものである。
 表面には横方向に四帯、縦方向に三帯の斜格子文帯を組み合わせ、袈裟襷文を作る。鈕(ちゅう)には綾杉文と鋸歯文を、鰭(ひれ)には鋸歯文を、裾部にも鋸歯文を鋳出す。鈕や周囲の鰭には小振りな双耳渦文(そうじかもん)の飾耳が9個付いている。文様の鋳上がりは良く、端正な姿をしている。
 銅鐸は集落から外れた場所で発見されることが多く、この銅鐸も山の中から出土した例である。

2 七観古墳出土竪矧細板鋲留衝角付冑(しちかんこふんしゅつどたてはぎほそいたびょうどめしょうかくつきかぶと)


 冑の前方を尖らせた衝角付冑で、細長い鉄板を縦方向に並べ鋲で留めたもので、冑のほぼ中央には胴巻板と呼ぶ横方向の鉄板がめぐり、鉄板を留めた鋲が連続する。
 冑の頂部にある金具は三尾鉄(さんびてつ)と呼び、羽根などの装飾物を差し込んだ。冑の背後にある横に長い鉄板は首を守る綴(しころ)で、数枚が重なって錆び付いている。
 巨大古墳が築造されていた古墳時代中期(5世紀)のものである。七観古墳は上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)の陪塚(ばいちょう)とも考えられ、大王が所持していた武器・武具の典型例として著名な資料である。

3‐1 重要美術品 高安千塚古墳群出土人馬小坩装飾付器台(たかやすせんづかこふんぐんしゅつどじんばしょうかんそうしょくつききだい)


 高安千塚古墳群服部川地区に「長者の箸塚(ちょうじゃのはしづか)」と呼ばれる古墳があった。明治41年(1908)、石室内部から多くの土器が持ち出されたという。この装飾器台はその時に見つかったものの一つ。
 人物・馬・鳥・壺などで器台の口を飾る須恵器として早くから知られている。高さが60センチを越える大型の須恵器で、6世紀後半のものである。実用ではなく初めから古墳の副葬品として作られたと考えられる。

3‐2 重要美術品 高安千塚古墳群出土人馬小坩装飾付器台(たかやすせんづかこふんぐんしゅつどじんばしょうかんそうしょくつききだい)の装飾部分の拡大写真 


 人馬小坩装飾付器台の口縁部には人や馬と鳥のほか、壺が装飾されている。

4-1 大阪市指定文化財 難波宮跡出土重圏文軒丸瓦(なにわのみやあとしゅつどじゅうけんもんのきまるがわら)


 大正2年(1913)、現在の中央区法円坂にあった陸軍被服廠での倉庫建設工事の際に、第四師団の技師であった置塩章氏によって採集・保管されていたもの。
 この瓦を置塩氏より見せられた山根徳太郎博士は、当時は所在地が不明であった難波宮が、瓦が出土した法円坂一帯に広がっていると推測した。その後、法円坂の市営住宅用地から建物の棟に飾られる鴟尾が発見され、昭和29年(1954)から難波宮跡の本格的な発掘調査が開始されることになった。
 本資料は難波宮跡の発見、その後の難波宮跡の調査・研究の出発点となった重要な資料である。

4-2 大阪市指定文化財 難波宮跡出土複弁蓮華文軒丸瓦(なにわのみやあとしゅつどふくべんれんげもんのきまるがわら)


 4-1の重圏文軒丸瓦と一緒に出土した瓦で、重圏文軒丸瓦とともに奈良時代の難波宮の建物に葺かれていた瓦である。

5 金箔押菊文大飾瓦(きんぱくおしきくもんおおかざりがわら)


 昭和29年(1954)に、豊臣時代大坂城三の丸の西北部にあたる、中央区大手前一丁目の合同庁舎1号館建設敷地から発見された金箔押瓦。直径45センチにおよぶ大きなものであることから、天守や本丸御殿の破風の装飾に用いられたものと推定される。
 火災のために熔け落ちているが、菊文の全面に金箔が押されていたことが明瞭にわかり、秀吉時代の大坂城の豪壮華麗な姿が想像できる。

参考資料

参考資料

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