ページの先頭です
メニューの終端です。

寝屋川・第二寝屋川

2011年4月4日

ページ番号:612

城東区を流れる川トップにもどる

 

  交野市星田の山地を水源とする傍示川と、枚方方面から流れる北谷川が寝屋の丘陵の西で合流して寝屋川となり、しだいに北河内の小川を併合しながら南下し、門真市・大東市・四條畷市・鶴見区を経て恩智川・古川等の流れを合わせ、城東区を東西に貫流して天満橋あたりで大川に合流する全長21キロメートルにおよぶ東大阪最大の河川です。
昔から大阪と河内を結んでの水運が盛んで、河内平野で作られた農作物や肥料の運搬にあたった剣先舟と野崎参りの屋形舟が特に有名です。
昭和20年(1945年)代になると、戦前から進行していた都市化の進展により、雨水の流出量が増大し溢水の危険が増すなど、河川が環境の変化に対応できなくなってきました。このため寝屋川水系を二分し、淀川に近い北側の流出水は現在の寝屋川に排水し、長瀬川など大和川寄りの南側の水は、新しく開削する第二寝屋川に集めることにしました。改修工事は昭和29年(1954年)に着工され、15年かけて昭和44年(1969年)に完成し、洪水の危険は減少しました。
かつて、古堤街道が今福を抜け放出に向かう寝屋川に、幅3尺(1メートル弱)の木製の橋が架かっていました。修理が不十分であったため、橋板が朽ちて時々そこから人が川に落ち、溺死する人がいたそうです。そのためこの橋は地獄橋といわれていましたが、明治28年(1895年)に幅員2間(約3.6メートル)の安全な橋になったことから、人々は極楽橋と呼ぶようになったそうです。
極楽橋を渡るとき、つい見過ごしてしまいがちですが、橋の欄干に野崎参りの屋形舟がデザインされています。

 

水運でにぎわう寝屋川(昭和30年ごろ)の写真

水運でにぎわう寝屋川(昭和30年ごろ)

新喜多付近から寝屋川上流を望む(大正末期)写真

新喜多付近から寝屋川上流を望む(大正末期)

寝屋川風景 極楽橋から上流を望む(大正時代)写真

寝屋川風景 極楽橋から上流を望む(大正時代)

SNSリンクは別ウィンドウで開きます

  • Facebookでシェア
  • Xでポストする

探している情報が見つからない

このページの作成者・問合せ先

城東区役所 総務課 総合企画グループ
電話: 06-6930-9937 ファックス: 06-6932-0979
住所: 〒536-8510 大阪市城東区中央3丁目5番45号(城東区役所3階)

メール送信フォーム