ページの先頭です

53.大村益次郎殉難(おおむらますじろうじゅんなん)碑

2022年9月26日

ページ番号:9671

中央区法円坂二丁目 国立大阪病院南東角

オオサカシティバス「大阪国立病院前」下車すぐ

 

 文政7年(1824)周防(すおう)に生まれた。弘化(こうか)3年(1846)23歳のとき来坂、適塾に入り僅か1年で塾頭になっている。明治2年(1869)兵部大輔(ひょうぶだいゆう)に任ぜられ、近代陸軍兵制の確立に努力した。しかし不平士族の反感をうけ、同年9月京都で襲撃された。そのとき右脚に重傷をおったが、京都では適切な治療をうけられず、現在の碑の近くにあった浪華仮病院(大福寺から当所へ移転、同頂参照)で右脚切断の手術をうけたが、すでに手後れで敗血症のため死亡した。切断された脚は遺志により、師緒方洪庵夫妻の傍ら(北区竜海禅寺)に葬られている。

「大村益次郎殉難碑」の写真

 

周辺地図へ

 

上町台地北コースのトップページへ

 

各史跡についての問合せ先は

大阪市教育委員会事務局総務部文化財保護課

 住所:〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号大阪市庁舎3F

 電話:06-6208-9166 ファックス:06-6201-5759

SNSリンクは別ウィンドウで開きます

  • Facebookでシェア
  • Xでポストする

このページの作成者・問合せ先

大阪市 建設局道路河川部道路課

住所:〒559-0034 大阪市住之江区南港北2丁目1番10号 ATCビルITM棟6階

電話:06-6615-6782

ファックス:06-6615-6582

メール送信フォーム

このページへの別ルート

表示