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コラム2 「水の都」大阪

2019年5月10日

ページ番号:9775

 かつて大阪には、網の目のように堀川がめぐらされ「水の都」と呼ばれていた。計画的な堀川は、秀吉が大坂城外堀として堀った東横堀川(天正13年 1585、または文録3年、1594)が最初である。江戸時代になると大坂の町の発展にともない、淀川デルタ地帯の整地がもとめられ、低地の排水と地面のかさ上げ用の土砂の必要から、堀川が掘られたものと考えられ、その堀川は舟運に利用された。
 それらの堀川沿いには、各藩の蔵屋敷や倉庫が並びその後の大阪の発展に大きく寄与した。明治以後も掘りつづけられたが、このときの主目的は舟運にあり、名称も運河といわれた。
 戦後になって、戦災の瓦礫処理のため、下水道の完備で不要となった堀川は埋め立てられ今では東横堀川・道頓堀川などが残るだけとなった。

(埋め立てられたおもな堀川)
  1.天満堀川 2.長堀川 3.高津入堀川 4.難波新川
  5.西横堀川 6.江戸堀川 7.京町堀川 8.海部堀川
  9.阿波(座)堀川 10.立売堀川  11.薩摩堀川 12.堀江川
  13.いたち川 14.十三間川 15.曽根崎川

「「水の都」大阪」の写真

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