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豊里大橋(とよさとおおはし)

2016年12月26日

ページ番号:23750

諸元・アクセス

豊里大橋写真

橋長:561.35m
幅員:22.16~30.42m
主橋梁部:L=377m(80.5m+216m+80.5m)
形式:斜張橋
完成:昭和45年
行政区:旭区、東淀川区
河川名:淀川
アクセス:OsakaMetro今里線・谷町線 
      太子橋今市駅 4番出口 
      およそ600m 徒歩10分

歴史・文化

 奈良時代、聖行基は全国に布教しながら各地で優姿塞(うばそく)を組織して灌漑施設や道路、橋の建設をしたが、その一つとされる高瀬大橋は、現在の豊里大橋の近くに架けられたと推定されている。この大橋は、生駒山から昆陽(こや)の地を結ぶ道の一部をなすとされている。

 豊里大橋の近くの淀川には、江戸時代前期から続く「平田(平太、へいた)渡」があった。この渡しは、明治37年の淀川改修により場所を移し、また、経営が個人から村営に代わったものの、名はそのままに存続。明治40年には府営に、大正14年には大阪市営となり、このときに無料となっている。昭和35年には都市化の進展から需要が増し、それまでの手漕ぎから発動機船に替えられ、最盛期には1日約3000人と670台の自転車を運んだが、豊里大橋の完成に伴って長い歴史の幕を閉じた。

 本橋は、万国博覧会の関連事業として昭和45年に完成した。架設場所は大阪市東部を縦走する都市計画道路新庄大和川線(大阪内環状線)が淀川を渡る地点で、上流の鳥飼大橋、下流の長柄橋のほぼ中間の地点である。

 橋長561mのうち、河川中央の低水敷部分に377mの斜張橋形式が採用された。水面から45mのA字形の塔と、そこから斜めに張って主桁を吊っているケーブルが外観上のシンボルにもなっている。わが国の近代的な斜張橋としては摩耶大橋(昭和41年)、尾道大橋(同43年)に次いで3番目だが、橋梁の規模は当時としては最大であり、今日に至る斜張橋の技術発展にも大きく貢献したといえる。本橋の完成に伴い、300年の歴史をもち、淀川最後の渡船場であった平田渡しが姿を消すことになった。

 名神高速道路への連絡のほか、大阪北部と東部の工業地帯、さらに南港地域を結ぶ交通の大動脈としての機能を果たすとともに、そのバランスのよい外観により都市景観の向上にも寄与している。昭和58年から夜間のライトアップも行われており、ランドマークとしての役割は、より一層大きくなっている。

 

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