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長柄橋(ながらばし)

2016年12月26日

ページ番号:23761

諸元・アクセス

長柄橋写真

橋長:656.37m
幅員:20.00m
主橋梁部:L=154.5m
形式:アーチ橋(ローゼ)
完成:昭和58年
行政区:北区、東淀川区
河川名:淀川
アクセス:大阪シティバス「長柄橋南詰」
      OsakaMetro堺筋線・谷町線 
      天神橋筋六丁目駅
      6番出口 およそ950m 徒歩16分

歴史・文化

 古くから広くその名が知られる長柄橋ではあるが、橋の所在地については定かでない。

信頼度の高い書物にこの橋が登場するのは『日本後記』の嵯峨天皇条で、弘仁3年(812)、律令の制度にのっとって、中央政府から造橋使が派遣されて工事が行われたとされる。しかし、40年後の仁寿3年(853)には橋は既に廃絶しており、渡船が設けられていた。

 短命に終わった長柄橋は、人々の心の中で生き続け、歌枕として様々な歌に詠まれた。また、この橋には人柱の悲話が伝わり、”物いわじ父は長柄の橋柱鳴かずば雉も射られざらまし”の歌を耳にされた方も多いであろう。

 長柄の地に再び橋が架けられたのは明治6年のことで、現在の橋とほぼ同じ位置に豊崎橋という名の橋が造られているが、長柄橋の名が千年の時を経て復活するのは、明治42年、新淀川の開削にともなって架けられた鉄製のポニートラス橋である。この橋は明治7年に開通した東海道本線のトラスが転用されたものである。その後、昭和11年に架け替えられた橋は、第二次大戦末期に爆撃を受けて橋桁が損傷し、橋の下に避難していた人々に多くの犠牲者がでた。橋の南詰の観音像が犠牲者を供養している。

 現在の長柄橋は、昭和58年に完成したもので、中央部の橋はニールセンローゼ桁というアーチ形の橋が採用されている。近代的なアーチに千年の時の流れを映している。

 

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