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愛珠幼稚園 1件

2019年1月9日

ページ番号:8777

愛珠幼稚園

あいしゅようちえん

分野/部門

有形文化財/建造物〔近代建築〕

所有者

大阪市

所在地

大阪市中央区今橋3

紹介

愛珠幼稚園写真

 愛珠幼稚園の創立は、明治13年(1880)に遡り、府下でもっとも歴史の古い幼稚園の1つである。創設者は船場北部(現中央区平野町以北)の連合町会である。園舎は最初、北浜5丁目の北浜小学校(現在の中央区北浜4丁目、大阪クラブ北裏)内に建てられ、同16年には鴻池家の持家を借りて今橋3丁目(現今橋2丁目、日商岩井ビルの南西)に移っている。さらに22年には連合町会から大阪市に移管され、以後、市立幼稚園となった。
 現在の敷地に移転したのは明治34年(1901)で、当時の主席保母であった伏見柳らの原案をもとに、文部技師・久留正道の指導により、大阪府技手・中村竹松が設計した。同33年4月に着工し、翌年3月に竣工した。

 敷地のまわりに高塀を巡らせ、南正面に塀重門を開いている。その内側に入母屋大屋根(東端は切妻とする)の管理棟を置き、正面に玄関、西側を園長室(もと応接室と事務室)とする。その北側には三方に廊下を巡らせた遊戯室の高い大入母屋が連続している。この廊下部分は庇状の構造となり、内部は天井を格天井とし、中央に古風なシャンデリアを下げている。遊戯室の南・北・西の三面には2階式回廊がめぐっているが、これは大正14年(1925)につくられたものである。北側には園庭をはさんで東棟(もと標本室・摂生室)、西方および北方に長い廊下が延び保育室が配置されている。また北西隅の土蔵は昭和2年(1927)に鉄筋コンクリートで新築されたものであり、資料室として使われている。

 通常の学校建築にはみられない御殿風といわれる建築は極めて質の高いものであり、その堂々たる姿は、創設者である船場の人々の心意気を伝えるものとして、高い価値を有している。平成19年国の重要文化財指定により、現在は大阪市の指定については解除。

用語解説

塀重門(へいじゅうもん) 塀中門から転じた名称といわれ、屋根を省き、本柱(角材)の間に2枚の扉を入れた構造の門
格天井(ごうてんじょう) 角材を縦横に組み合わせ、裏板を張った天井

参考文献

『愛珠幼稚園百年史』(愛珠幼稚園百周年記念事業委員会 1980年)

「大阪市指定文化財(平成11年度)」にもどる

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