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朝日新聞社(大阪)収蔵資料 一括(1281点)

2019年1月9日

ページ番号:8823

朝日新聞社(大阪)収蔵資料

あさひしんぶんしゃ(おおさか)しゅうぞうしりょう

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

株式会社朝日新聞社 大阪本社

所在地

大阪市北区中之島3

紹介

朝日新聞社(大阪)収蔵資料 写真

 朝日新聞は明治12年(1879)1月、大阪において創刊された。同14年には、村山龍平、上野理一のコンビによる経営体制が確立し、同21年には東京朝日新聞が発刊された。翌22年には、朝日新聞を改題して大阪朝日新聞とした。現在のように題号を朝日新聞に統一したのは、昭和15年(1940)に、東京、大阪、西部、中部の4箇所の本社制を実施した時からである。
 朝日新聞社は社史として、『朝日新聞略史』(大正5年)、『五十年の回顧』(昭和4年)、『朝日新聞七十年小史』(昭和24年)、『村山龍平伝』(昭和 28年)、『上野理一伝』(昭和34年)、『朝日新聞小史』(昭和36年)、『朝日新聞の九十年』(昭和44年)を刊行してきた。さらに100年史刊行をめざして昭和46年(1971)に朝日新聞百年史刊行委員会を設置し、平成7年(1995)以降、順次『朝日新聞社史 明治編』、『同 大正・昭和戦前編』、『同 昭和戦後編』、『同 資料編』の全4巻が刊行された。
 今回指定の対象とする資料は、朝日新聞社の社史編纂のために同社社史編纂センターに収集保管された資料のうち、昭和20年8月以前のものである。原資料などがあり、歴史資料としての価値、あるいは文化的価値が高い。
 これらの資料群に含まれるものは多種多様な分野におよぶ。大阪府知事渡辺昇宛の「新聞発行御願」にはじまる会社経営に関わる資料、編集方針や発禁処分など新聞発行に関する資料、白瀬中尉の南極探検や東西定期便航空など社の関わった事業に関する資料、高原操の日記、村山龍平・上野理一など社の主だった人々の個人資料、社内外の人々の書簡・原稿・書画等などである。文書資料が多数を占めるが、戦時期に占領地で発行された「ジャワ新聞」・「ボルネオ新聞」や、新聞号外などの刊行物、写真や新聞小説の挿絵などもある。
 本資料群は、第1に、朝日新聞社が新聞界に占める大きな位置に照らして、日本のジャーナリズムの歴史を解明する第1級の資料といえる。第2に、新聞は時代を写す鏡であるが故に、新聞社の足跡は帝国憲法発布、日清・日露戦争、大正デモクラシー、満州事変、太平洋戦争など、戦前の日本の歩みを鮮やかに描き出している。朝日新聞が大正デモクラシーの鼓舞者として活躍していたさなかに勃発し、特筆すべき筆禍事件とされる「白虹事件」の資料などは、その代表格といえる。第3に、本資料群は近代大阪の歴史記録としても貴重である。大阪は朝日新聞創刊の地であるだけでなく、同社の活動の拠点であった。従って、本資料群には近代大阪の歴史と文化を考えるうえで欠かすことのできない資料が数多く存在する。たとえば、明治初期に大阪で刊行された諸新聞「大阪新聞」・「官許大阪日報」・「大阪画入新聞」等や、「朝日会館開館」資料などである。
 本資料群は、歴史記録にとどまらない、文化・芸術上の価値があることも特筆すべきである。西村天囚自筆の原稿、岡本一平の漫画原稿、谷崎潤一郎『痴人の愛』挿絵原稿(田中良作画)など多数が含まれる。
 創刊以来現在にいたるまで、朝日新聞はわが国を代表する新聞の1つである。また、新聞以外の多様な刊行物や関わった数々の事業を含め、朝日新聞社がわが国の社会や文化に大きな影響をもっていた。同社の資料群は、これらのことを窺うことのできる歴史資料として極めて価値の高いものである。

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教育委員会事務局 生涯学習部 文化財保護担当
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