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長原40号墳出土盾形埴輪 1点

2019年1月9日

ページ番号:8891

長原40号墳出土盾形埴輪

ながはら40ごうふんしゅつどたてがたはにわ

分野/部門

有形文化財/考古資料

所有者

大阪市

出土地

大阪市平野区長吉長原東1

紹介

長原40号墳出土盾形埴輪 写真

 長原古墳群は平野区の長原遺跡に包括される埋没古墳群で、開発に伴う発掘調査によって現在までに200基以上が発見されている。大多数の古墳は1辺10m以下の小方墳で、5世紀代に築かれているが、初期の4世紀後半~5世紀初頭に築かれた古墳はやや大型で、方墳の他に円墳がある。塚ノ本古墳(直径55mの円墳)、一ケ塚古墳(直径47mの円墳)、高廻り1号墳(1辺15mの方墳)、同2号墳(直径21mの円墳)などが初期の古墳で、長原40号墳も出土埴輪の特徴からこの時期に属する古墳とみられる。

 40号墳が発見されたのは昭和50年(1975)のことで、トレンチ調査による部分的な検出にとどまったが、方墳(規模不明)と推定されている。盾形埴輪が発見されたのは墳丘の平坦面上で、盾面を上にした横倒しの状態で掘形内に埋納されていたことから、埴輪棺に転用されたものと考えられている。

 盾形埴輪は大型の円筒部の全面に長方形の粘土板を貼り付けて盾面としている。円筒部の下端部は欠損しているが、10段分が遺存している。下から2・4・8段目に円形のスカシ孔が穿たれている。盾面は、輪郭にそって2条1組の線刻を施し、内側に「日の字」形の区画を設ける。区画の外側は鋸歯文を描き、内側には横方向の平行線帯と鋸歯文を入れる。外側の輪郭線の四隅から内側の区画の角に向かって放射状に線刻がある。このような文様構成の盾形埴輪については、木製の盾を模したものとする説がある。盾面を縦断するように黒斑がある。

 埴輪棺として地中に埋められていたため、遺存状態は非常に良い。西日本のこの時期の埴輪で良好に復元された器財形埴輪の例は少なく、重要文化財に指定されている高廻り1・2号墳から出土した埴輪と共に、貴重な資料である。

参考文献

『大阪市平野区長原遺跡発掘調査報告』(大阪市文化財協会 1991年)
『大阪市平野区長原・瓜破遺跡発掘調査報告』(大阪市文化財協会 1990年)

 

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