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浄照坊真宗関係史料 一括(13点)

2019年1月9日

ページ番号:8897

浄照坊真宗関係史料

じょうしょうぼうしんしゅうかんけいしりょう

絹本著色法円画像(別幅蓮如裏書)2幅・御文(御文章 蓮如筆)3通1巻・三帖和讃正信偈(蓮如開版)4冊・執持鈔文 蓮如筆1幅・法光画像裏書1幅・絹本著色親鸞画像(准如裏書)1幅・大坂浄照坊古証墨跡2巻・浄照坊来歴1巻

分野/部門

有形文化財/歴史資料〔文書〕

所有者

宗教法人 浄照坊

所在地

大阪市天王寺区真田山町5

紹介

浄照坊真宗関係史料 絹本著色法円画像 写真

 大阪の町は大阪(石山)本願寺のもとに営まれた寺内町がもととなって発展したといわれるように、大阪と本願寺教団の関連は深い。浄照坊は、蓮如の弟子である法円が開いたという由緒をもつ真宗寺院であり、本願寺教団と大阪の関係を考えるうえで重要な多数の史料を伝えている。今も残る「法円坂」の地名は法円の名前を語源としているといわれるが、法円は八尾の慈願寺の6世であり、蓮如の有力な門弟で、摂津・河内・和泉地方での教化に重要な役割を果たした。大阪本願寺の前身となった、蓮如による大阪御坊の建立にあわせて、法円が大阪の通寺として建立したのが浄照坊であるという。

 大阪市内に残る蓮如の時代にさかのぼる真宗関係史料は非常に限られているが、浄照坊にはそのうちのいくつかが伝来している。文明13年(1481)の蓮如裏書を伴う法円画像、蓮如自筆の御文(御文章)3通、蓮如開版の三帖和讃正信偈、執持鈔文の4点の史料は、いずれも蓮如自身による免物であり、本願寺教団と大阪の関連を考えるうえで最も重要な史料である。この他に実如が浄照坊3世の栄春に永正元年(1504)に下付した法光画像裏書、准如が慶長19年(1614)に下付した親鸞画像も残る。また、浄照坊伝来の安土桃山時代から江戸時代の文書を集めた大坂浄照坊古証墨跡は、浄照坊と本願寺とのかかわりだけでなく、大阪の町の様子をうかがい知ることのできる文書を多数含んでいる。享保17年(1732)に浄照坊11世の慈春がまとめた浄照坊来歴も寺史として重要である。

 これらの史料は、いずれも中世から近世にかけての大阪の歴史を考えるうえで、極めて重要であり、その意義は高い。

参考文献

『大阪の町と本願寺』(大阪市立博物館 1996年)
大澤研一「蓮如の大坂進出の前提について―浄照坊の動向を中心に―」(『大阪市立博物館 研究紀要』31 1999年)

 

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