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光永寺 真宗関係史料

[2009年3月6日]

所有者

光永寺

所在地

大阪市平野区平野本町1-5-13

紹介

光永寺 真宗関係史料写真1

親鸞画像裏書

光永寺 真宗関係史料写真2

親鸞画像

光永寺 真宗関係史料写真3

証如画像裏書

光永寺 真宗関係史料写真4

証如画像

 光永寺は、中世自治都市として著名な平野郷に所在する真宗本願寺派の寺院である。本願寺10世門主証如が記した『天文日記』に光永寺の名が頻出する。中でも天文5年(1536)6月15日の記事は重要で、大坂本願寺の造営のために、「平野衆」と呼ばれる光永寺の門徒200人が大坂へ手伝いに来ている様子が記されている。16世紀前半には、光永寺が平野郷の中で確固たる地位を確立しており、多数の門徒衆を抱えた大きな勢力であったこと、また本願寺教団にとって摂津南部、河内方面の重要拠点となっていたことがわかる。

 光永寺には16世紀代の4点の画像が伝来している。最も古いものは親鸞画像で、天文6年(1537)に証如が光永寺の僧明祐に下付したという裏書を伴っている。この裏書には本願寺9世門主実如の証判も記されている。また、天正17年(1589)の本願寺11世門主顕如による修復の裏書もある。この他に、3幅の16世紀代の画像が伝来している。それは元亀3年(1572)に顕如が裏書した証如画像、天正16年(1588)に顕如が裏書した七高祖画像、文禄4年(1595)に本願寺12世門主准如が裏書した顕如画像である。さらに関連する光永寺文書がいくつかある。天正10年(1582)と文禄5年(1596)の光永寺4世の僧明春に対して宮中から官位を与えた口宣案2通や、永禄2年(1559)の明春の法名書、慶長7年(1602)の光永寺5世と思われる明琇の法名書がそれぞれ1通伝来している。

 現在も残る町割をはじめとして、江戸時代の平野郷を考える史料は多いが、大坂の陣以前の平野郷の様子を語る史料は少ない。16世紀代の平野郷において、多数の門徒衆を従えて大きな勢力となっていた光永寺に、16世紀代の史料がまとまって残ることは貴重である。

用語解説

口宣案:本来、叙位・任官などに関する勅令は口頭で伝達されたが、文書化したものが要求された場合にこれを与えた。

参考文献

『大阪市内所在の真宗関係史料 平野区所在史料について(1)』(大阪市文化財総合調査報告書1 1997年)

 

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