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願正寺真宗関係史料 一括(6点)

2019年1月9日

ページ番号:9086

願正寺真宗関係史料

がんしょうじしんしゅうかんけいしりょう

絹本著色方便法身阿弥陀如来画像1幅・絹本著色方便法身阿弥陀如来画像(裏書)1幅・紙本墨書六字名号(伝蓮如筆)1幅・紙本墨書六字名号1幅・紙本墨書十字名号(伝蓮如筆)1幅・紙本墨書正信偈文1幅

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

宗教法人 願正寺

所在地

大阪市鶴見区鶴見3

紹介

願正寺真宗関係史料 絹本著色方便法身阿弥陀如来画像 写真

 願正寺は鶴見区鶴見に所在する真宗大谷派(しんしゅうおおたには)の寺院であり、明応3年(1494)に誓道(せいどう)が建立したと伝える。中世に遡る真宗関係史料がいくつか伝来することで知られているが、中でも方便法身阿弥陀如来画像(ほうべんほっしんあみだにょらいがぞう)が最も注目される。正面を向いて蓮台(れんだい)上に立つ阿弥陀如来を描く画像である。像容は形式化の傾向を示しながらも、量感があり堂々としたもので、截金(きりがね)の文様も蓮如期から実如(じつにょ)期にかけて見られる形式のものである。円相(えんそう)、光明(こうみょう)、蓮台部分に後補の彩色が目立つが、この種の画像としては、保存状態は総じて良好である。裏書もよく残っており、証判部分は「大谷本願寺釈実如(花押)」とはっきり読み取ることができる。年紀は「明応三年甲寅四月廿八日」とあり、蓮如在世中の明応3年(1494)に、本願寺9世門主である実如から下付された本尊であることがわかる。宛所部分は「横枕願正寺門徒摂州西成郡放出辻願□(主か)釈 □□」と判読できる。従って、願正寺自体に下付されたものではなく、摂州西成郡の「放出辻」に居していた願正寺の門徒に対して下付された本尊である。いつの頃かに、手次(てつぎ)である願正寺に門徒側から納められたものであろう。
 『天文(てんぶん)日記』天文5年(1536)7月25日条には「廿八日斎善源寺滓上江辻放出従此四ケ所如毎年可令勤仕由申候」という記述があり、辻と放出に門徒の拠点となる道場があったことがわかる。辻は現在の旭区清水(上辻)から鶴見区今津(下辻)付近、放出は現在の鶴見区放出付近を指す地名であり、榎並庄(えなみのしょう)に含まれる地域であった。「放出辻」という表記の正確な意味はよくわからないが、放出から辻にかけての地域に居住していた門徒に下付されたものだろう。在地に伝来する本願寺教団の勢力の浸透を示す貴重な史料のひとつであり、『天文日記』に登場する地名を含むことも重要である。旭区今市の浄願寺に伝来する画像本尊も明応2年に下付(かふ)されたものであり、この時期に榎並庄に対して、本願寺教団が活発な教化を行っていたことがわかる。なお、願正寺の所在地は、この裏書では横枕、すなわち現在の東大阪市の横枕付近を指す地名が記されており、現在の寺地とは異なる。詳しい事情は不明だが、ある時期に願正寺が移転しているものと考えられる。
 この他の史料としては、3幅の名号本尊がある。蓮如筆と伝える草書体、墨書の六字名号がある。勢いのある早い豪快な筆致で記されたもので、随所に虎斑(とらふ)が見られる。「阿」の旁の下半が、平仮名の「つ」のように記されるタイプの名号である。もう一幅は、少し筆致が重く、実如筆として分類されることの多い名号である。十字名号は、楷書体、墨書のもので、寺伝では蓮如筆と伝えている。
 これらの史料に加えて、蓮如筆と伝える正信偈文も伝来している。「如来所以興出世」以下4句を2行にしたためたもので、細筆で早い筆致により記されている。いずれも、中世における本願寺教団の勢力の展開を考えるうえで、重要な史料である。

用語解説

蓮如(れんにょ) 室町時代の浄土真宗の僧侶(1415-1499)。本願寺第8世。本願寺中興の祖

方便法身阿弥陀如来画像(ほうべんほっしんあみだにょらいがぞう) 正面を向いて立つ阿弥陀如来を描いた、真宗教団に特有の画像。室町時代には寺院や道場の本尊として、門主から門徒に与えられた

花押(かおう) 署名の代わりに記される手書きの記号・符号

参考文献

『城東区史』(城東区史編纂委員会 1974)
『蓮如と大阪』(難波別院・朝日新聞社 1986)
『大阪の町と本願寺』(大阪市立博物館 毎日新聞社 1996)

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