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木造毘沙門天立像(正念寺) 1躯

2019年1月9日

ページ番号:9087

木造毘沙門天立像

もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕

所有者

宗教法人 正念寺(しょうねんじ)

所在地

大阪市天王寺区上本町5

紹介

法量 : 像高 132.0cm
木造毘沙門天立像 写真

 木造聖観音菩薩立像とともに、もとは境内の観音堂にまつられていたが、現在は本堂に安置される。
 形状は、宝髻(ほうけい)を結う。摩耗が著しいが、当初から毛筋は彫出されていなかったものと考えられ、平彫で毛束のみを彫出している。地髪部(ぢほつぶ)も同様である。前面に山形の宝冠を彫出する。天冠台(てんかんだい)も痛みが激しく、当初の様相は判然としない。後補の部分は無文帯(むもんたい)からなっている。彫眼像(ちょうがんぞう)である。顔をわずかに右側に振り、眉を中央に寄せ、丸い眼を大きく見開き、口を結び、憤怒の相を呈している。鼻は扁平で小鼻が大きく横に広がっている。鼻孔は彫出される。耳朶(じだ)は不環である。猪首(いのくび)で肩幅が広く堂々とした恰幅である。
 大衣(たいえ)を付けて着甲する。鰭袖(ひれそで)は翻るように表現されている。右腕は屈臂(くっぴ)し、上腕を振り上げて、顔の高さで五指を捻じて三鈷戟(さんこげき)をとる。戟は黒漆仕上げである。左腕も屈臂し、掌を上に向けて胸横で宝塔をとる。宝塔(ほうとう)は金色に彩色されている。腰廻りに天衣(てんね)を纏うが、体部からの遊離部分は失われている。裳(も)と袴(はかま)を着す。背面の裳裾(もすそ)は長く垂れ下がり、足首部分まで達している。臑当(すねあて)は付けない。沓(くつ)をはく。腰を左にひねり、重心をわずかに左足にかけて、邪鬼の上に立つ。邪鬼は右向きにうずくまり、顔をわずかに左にひねっている。
 構造は、宝髻から両足底のホゾまで一木から彫出する。材は檜と思われる。体部は肩の後ろで前後に割り、内刳(うちぐり)を施したうえで、背板(せいた)風に背面材を矧いでいる。天冠台の上部に小材を補う。両肩先は別材を用い、それぞれ一材で指先まで彫出している。両足先、持物(じもつ)、邪鬼はそれぞれ別材による。
 保存状態は、全体に虫害による朽損が及んでいる。現状では彩色は残らず、像は素地(そぢ)を呈する。山形の宝冠と面相部、両肩先には黒漆が塗られているが、これは後補である。また、面相には後補の修理が及び、眼、鼻、口唇の各部には彫り直しの手が入っている。天冠台上部の小材、両肩先、両足先、持物、邪鬼は後補の材による。銘記は、修復銘も含めて確認できない。
 右手に戟をとり左手で宝塔を掲げる通規の毘沙門天立像であるが、両肩から先が後補のため、造像当初の尊名は明らかではない。また面相部にも後補の手が加わっており、当初の表情をうかがうことができないのが惜しいが、太く短い首、張り出した肩、深い体奥は、一木造の特色を生かした量感豊かな表現である。他方で、衣文の彫り口は、体躯の量感に比べると浅く、抑揚を控え穏やかで静的な表現となっている。天衣や鎧(よろい)の隈取(くまど)りの線は、少し形式化した印象を受ける。腰を少し左に振り、重心を左側に寄せ、両足をほぼ揃えて邪鬼の上に立つという、比較的動きの少ない造型である。構造的には、背刳(せぐ)りを施した一木造という古様をとる。他方で、衣文の彫り口が浅く穏やかな印象が見られることは、定朝様(じょうちょうよう)の影響をうかがわせる。
 これらのことを勘案すると、制作年代は11世紀後半と考えられる。木造聖観音菩薩立像と同様に、正念寺伝来以前の詳細は不明であり、後補の修理の手は及んではいるが、等身大の堂々とした平安彫刻で、寺町に残る古仏の中でも、特に注目すべきもののひとつである。

用語解説

宝髻(ほうけい) 仏像の髪型の一つ。仏像の頭上に結いあげた髻(もとどり)を指す

天冠台(てんかんだい) 宝冠を置くため頭の周囲に造られた台

彫眼像(ちょうがんぞう) 彫像の眼に水晶などの別材をはめこまず、彫刻のみで眼をあらわすもの

大衣(たいえ) 僧が着る袈裟の一つ。僧の正装衣で、9条から25条の布片を縫い合わせた1枚の布からなる。僧伽梨衣(そうぎゃりえ)とも呼ぶ

三鈷戟(さんこげき) 戟は、古代中国の武器。戈(か)と矛(ほこ)を組み合わせたもの。三鈷戟は、両端が三つに分かれた戟

天衣(てんね) 菩薩や天人などが肩や腕から垂らす帯状の長い布

内刳(うちぐり) 木の干割れを防ぐため、また重量の軽減化のため、像底や背面から内部を刳ること。一木造りの仏像などでは像底や背面から刳ることが多いが、寄木造りの技法が完成した以後は像内全面に施されることが多い

一木造(いちぼくづくり) 一本の木から頭部と体部の主要部を彫り出す技法。腕、両脚部は別の材であることが多い

定朝様(じょうちょうよう) 11世紀に活躍した仏師定朝(不明-1057)の彫刻様式。当時の貴族好みの華麗優美な作風が特徴で、平安後期の多くの作品がこの様式で造られている

参考文献

『大阪市文化財総合調査報告書29 大阪市内所在の仏像・仏画 正念寺の仏像について』 (大阪市教育委員会 2001)

 

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