ページの先頭です

鶴満寺本堂 1棟

2019年1月9日

ページ番号:9091

鶴満寺本堂

かくまんじほんどう

分野/部門

有形文化財/建造物

所有者

宗教法人 鶴満寺

所在地

大阪市北区長柄東1

紹介

鶴満寺本堂 写真

 鶴満寺の創建は明らかではないが、寺に伝わる記録によると奈良時代の創建とされ、伊勢、河内、摂津南方村を経て、当地に移されたという。当寺は天台真盛宗(てんだいしんぜいしゅう)に属し、かつては桜の名所として世に知られ、また古典落語の「鶴満寺」にもその様子が描かれている。境内にある重要文化財の朝鮮鐘は、高麗初期の様式をもつ優品である。「太平十年」(1030)の銘があり、もと長州普済禅寺(ふさいぜんじ)のものであったが、毛利家により当寺に寄進されたものである。また、本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代の作で大阪府有形文化財に指定されている。
 本堂は外陣(げじん)とその奥の内陣(ないじん)よりなる複合本堂形式をとる。
 外陣は正面5間、側面5間、入母屋(いりもや)本瓦葺きで正面に向拝(こうはい)を付ける。内部は無目敷居(むめしきい)により6室に分けられ、後方中央区画には丸柱の四天柱(してんばしら)を配す。他は面取り角柱である。天井は手前2間を棹縁(さおぶち)とし、その奥の2間を格天井(ごうてんじょう) とするが、その中で四天柱で囲まれた部分は出三斗(でみつど)により天井桁(けた)を受け一段高くしている。両脇の間には後方に仏壇を構える。
 内陣は正面3間、側面5間で、後方の4間は宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根をのせ、外陣側の1間は両下造(りょうげづくり)の取合いで繋ぐという複雑な構成をとる。この取合い部分は天井を格天井とし、また外陣の四天柱間と高さも揃え、両者を連続した空間としている。
 一方、内陣のうち後方の4間は方1間を身舎(しんしゃ)とし、その4面に庇(ひさし)をめぐらせ、虹梁(こうりょう)で繋ぐ。内部は丸柱、外回りは角柱で、身舎の床は一段高くし、天井は折上格天井(おりあげごうてんじょう)、庇部分は化粧垂木(けしょうだるき)である。柱上と中備(なかぞなえ)に出三斗をのせ、木鼻(きばな)を獅子の丸彫りとするなど、外陣、取合いと比べて格段の差をつけている。本尊の阿弥陀如来は1丈4尺であり、背後の来迎壁(らいごうへき)には裏側に釈迦三尊図が描かれている。内陣が独立性の高い祀堂(しどう)としてつくられているのは、本尊の安置のためと思われる。
 建立年代は寺に伝わる文書から、浪速の豪商上田宗右衛門広久の発願により、寛延3年(1750)に造営が開始され、宝暦2年(1752)上棟、同3年(1753)の竣工であることがわかる。来迎壁の壁画の年号とも一致する。内陣を後方に独立させる構造は、同時代のものとしては、滋賀県の西教寺本堂(元文4年(1739))、三重県の来迎寺本堂(享保15年(1730))などに類例を見るにすぎない。いずれも天台真盛宗の寺院であり、鶴満寺本堂の造営にあたりこれらの影響を受けたことが推測される。全国的にも数の少ない複合本堂の形式を伝える建物として、貴重である。
 なお、当初南向きであったものが、昭和60年の道路拡張に際して、西向きに変更された。

用語解説

長州普済禅寺(ちょうしゅうふさいぜんじ) 現在の山口県宇部市にある宗隣寺(そうりんじ)の旧称。国の名勝に指定されている庭園を有する古刹である

外陣(げじん) 神社・仏寺の内陣に対する語。一般の参拝者が礼拝する所を指す

内陣(ないじん) 神社の本殿や寺院の本堂で、神体あるいは本尊を安置してある奥の間。内殿

入母屋(いりもや) 屋根形式の一つ。上部を切妻とし、下部の四周に庇や屋根を廻した形態。切妻造の妻側の下部に庇を付けた形態ともいえる。格式が高いとされ、寺院建築で多く用いられる

向拝(こうはい) 参拝者の礼拝のために、仏堂や社殿の正面中央の階段上に張り出した部分

無目敷居(むめしきい) 建具の入らない溝などの切り込みのない敷居

出三斗(でみつど) 建築様式の斗供(ときょう)の組物の一つ。斗供は、木造の寺院建築などで、主に柱上にあって、 深い軒を支えるしくみ。斗(ます)と肘木(ひじき)とを組み合わせたもの

参考文献

『大阪府の近世社寺調査』 (大阪府教育委員会 1987)

 

⇒「大阪市の指定文化財(平成16年度)」にもどる

 

 

探している情報が見つからない

このページの作成者・問合せ先

教育委員会事務局 生涯学習部 文化財保護担当
電話: 06-6208-9166 ファックス: 06-6201-5759
住所: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所3階)