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木造聖観音菩薩立像(正念寺) 1躯

2019年1月9日

ページ番号:9093

木造聖観音菩薩立像

もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕

所有者

宗教法人 正念寺(しょうねんじ)

所在地

大阪市天王寺区上本町5

紹介

 法量   像高 157.4cm
木造聖観音菩薩立像 写真

 正念寺は浄土宗寺院で、元禄8年(1695)刊の『蓮門精舎旧詞(れんもんしょうじゃきゅうし)』によれば、慶長2年(1597)の創建という。木造聖観音菩薩立像は、もともとは木造毘沙門天立像などとともに、境内の観音堂にまつられていた。観音堂は第2次世界大戦の際の火災では焼失を免れたが、現在は取り壊され、像は本堂に移されている。
 形状は、宝髻(ほうけい)を結い、その前面に山形の宝冠を彫出する。毛筋はあらわされず、平彫で毛束のみをまばらに彫出する。地髪部(ぢほつぶ)も同様である。天冠台(てんかんだい)をあらわす。摩耗が激しいが、下段に列弁文帯(れつべんもんたい)が彫出されているのが確認できる。白毫相(びゃくごうそう)をあらわす。彫眼像(ちょうがんぞう)であり、切れ長の目尻はやや上がる。鼻筋は高く通り、頬はふくよかである。耳朶(じだ)は環状を呈し、鼻孔は彫出されない。頚部には三道相(さんどうそう)があらわされる。臍は彫出されていない。右手は垂下し、掌を正面に向ける。欠失した親指をのぞく4指をまっすぐに伸ばし与願印(よがんいん)を結ぶ。左手は屈臂(くっぴ)し、掌を右側に向けて、第2・5指を立て、第1・3・4指を捻じて、蓮華をさしこんだ水瓶(すいびょう)をとる。条帛(じょうはく)、天衣(てんね)、腰布、裙(くん)を着す。条帛は左肩からかかり、左胸前、腹前を通って背面に回る。条帛の先は、左乳前で下側を通り腰布の先端にかかる。天衣は両肩を覆い、膝前に垂れ、さらに左右反対側の前膊内側を通って体側に両端を垂らす。裙は一段折り返し、正面で左前に打ち合わす。裙の両端は左右に張り出している。腰をわずかに左に振り、右膝をこころもち曲げ、両足を揃えて蓮台(れんだい)上に立つ。光背は輪宝光(りんぽうこう)である。
 構造は、髻(もとどり)の頂から裙の先端まで一木から彫出する。木心(もくしん)は背面にはずす。材は檜と思われる。頭部は背面から内刳を施し、耳の約 2cm後ろで背面材を割矧(わりは)ぐ。体部も同様に内刳りを施し、背板(せいた)風に背面材をあてる。背面材は腰の部分でさらに上下二材に割る。右腕は肩先から別材をあて、指先までこの一材から彫出する。白毫は木製である。鼻先に小材をあてる。左腕は肩先、手首先でそれぞれ別材を矧ぎ、さらに臂の後ろに小材を二材あてる。裙の左下端にも小材をあてる。天衣の遊離部分、両足首先も別材である。左足ホゾは、左右の踵の内側に八角形の棒材を1本差し込み、これで蓮台と接合する。持物、蓮台、光背もそれぞれ別材である。
 保存状態は、頭部の髻や天冠台をはじめ、全身に虫害による朽損が及んでいる。面相部は比較的保存状態がよいが、鼻筋には後補の彫り直しの手が入っている。根幹材の背板部分や両肩先の別材との接合部分などに、後補の木屎漆をパテ状に埋め込んだ補修の痕跡が見られる。ただし、これらも剥落が激しい。現状では、像は全体に素地を呈しており、彩色等は残らない。また、右手の第1指は欠失している。白毫、鼻先にあてられる小材、両肩から先の各材、天衣の遊離部分、両足首先、足ホゾ、持物、蓮台、光背は後補である。
 銘記としては、輪宝光の光背の束に、正念寺5世忍誉(にんよ)の代である享保17年(1732)の光背再興銘がある。
 通規の聖観音菩薩立像であり、頭部は、髻や宝冠、天冠台部分に特に虫害による穴や摩耗が目立つが、面部の表情は比較的よくうかがえる。やや伏し目で切れ長の目や緩やかな弧を描く眉、さらに小振りで上下とも薄い口唇など、まとまりがよく穏和な表現である。両瞼や両頬の丸みのある感じが、ふくよかな印象をもたらしている。彫技は上品で彫り口は浅い。体奥も浅く、胸板や膝下部分は特に薄く平坦である。これらの点は、定朝様(じょうちょうよう)の影響をうかがわせる要素である。衣文は非常に簡素である。特に背面については、天衣、腰布、裙の折り返し部分の輪郭線を彫出するのみで、簡略化が著しい。宝髻から足ホゾまで一木から彫出し、頭部、体部ともに背面から内刳を施して、それぞれ背面材を割矧ぐという構造は、一木造(いちぼくづくり)と一木割矧造(いちぼくわりはぎづくり)の折衷的なものである。
 以上のように、構造的に過渡期の特色を示すが、穏和な表現や浅い体奥など定朝様の影響が強いことを踏まえると、12世紀前半の制作と考えられる。
 寺町には、境内に古仏をまつる小堂がある寺院がしばしば見られる。これらの小堂は、寺町形成の際に、大坂市中にあった社や辻堂(つじどう)を寺町寺院の中に吸収合併したものではないかと推測され、そこにまつられていた古仏が、寺町寺院に伝来した事例も多いと考えられる。本像は、正念寺の建立年代よりはるかに遡る時代の仏像で、造立の由緒や正念寺への伝来の過程は不明であるが、大坂が都市化する以前から、市中となった旧地のどこかでまつられていた古仏である可能性も高い。

用語解説

蓮門精舎旧詞(れんもんしょうじゃきゅうし) 元禄8年(1695)に記された浄土宗の書物。僧仏元が増上寺系統の各寺院を回り記述したと伝えられる。「続浄土宗全書 第18巻」

白毫相(びゃくごうそう) 仏の身体的特徴であるの三十二相の一つ。白毫は、額中央の眉間にあって光明を放つという長く白い巻毛。仏像では水晶をはめ込んだり浮き彫りにしたりして表現する

条帛(じょうはく) 菩薩・明王・天部像が肩から脇に斜めに懸ける布

天衣(てんね) 菩薩・天部像などが肩や腕から垂らす帯状の衣

裙(くん) 僧侶がつける、黒色でひだの多い下半身用の衣服

定朝様(じょうちょうよう) 11世紀に活躍した仏師定朝(不明-1057)の彫刻様式。当時の貴族好みの華麗優美な作風が特徴で、平安後期の多くの作品がこの様式で造られている

参考文献

『大阪市文化財総合調査報告書29 大阪市内所在の仏像・仏画 正念寺の仏像について』 (大阪市教育委員会 2001)

 

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