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仏光寺大阪別院真宗関係史料 一括(16点)

2011年12月6日

ページ番号:9112

仏光寺大阪別院真宗関係史料

ぶっこうじおおさかべついんしんしゅうかんけいしりょう

絹本著色方便法身阿弥陀如来画像1幅、紙本墨書十字名号1幅、紙本墨書九字名号1幅、絹本著色聖徳太子画像1幅、絹本著色七高祖画像1幅、絹本著色親鸞絵伝4幅、絹本著色随如画像1幅、絹本著色寛如画像1幅、絹本著色世順如画像1幅、絹本著色随応画像1幅、絹本著色随念画像1幅、絹本著色了源画像1幅、絹本著色真達画像1幅

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

宗教法人 仏光寺大阪別院

所在地

大阪市住吉区苅田6

紹介

仏光寺大阪別院真宗関係史料 絹本著色方便法身阿弥陀如来画 写真

 仏光寺大阪別院は、現在は住吉区苅田に所在するが、もとは中央区平野町に所在した。寛保元年(1741)再建という本堂をはじめとする門、鐘楼、庫裡(くり)などの建物は、第二次世界大戦による被災を逃れた。昭和37年(1962)に現地へ移転する時に、現在の本堂が新築されたが、その際に旧本堂の一部である内陣の荘厳(しょうごん)・欄間・襖絵などが新本堂に移設されている。
 『仏光寺史の研究』に収録される「大阪別院史料」によれば、寛元2年(1244)に親鸞の弟子である嘉清が、天王寺庄百済野に建立したのが端緒という。正慶元年(1332)に南北朝の戦乱に際して、平野町に寺地を定め移転したと伝える。宝永元年(1704)に官許を得て本山掛処となり、船場御堂と称した。後に官命によって平野御堂と改称したが、明治元年(1868)にその称号を廃した。このような由緒を持つ仏光寺大阪別院には、方便法身阿弥陀如来画像をはじめとして多数の史料が伝来している。
 方便法身阿弥陀如来画像(左側の画像)は、年代的に最も古い史料で、正面を向いて蓮台上に立つ阿弥陀如来像を描くものである。螺髪は大きめで、群青で彩色される。肉髻部と地髪部の段差はほとんど表現されず、頭部は三角形を示しているのが特徴的である。髪際の線は中央部がやや切れ込み、緩やかに左右に向けて下がる。
 面相部は幅広で、眉、眼、鼻、口は大振りに描かれ、特徴のある表情を示す。耳は肉厚、縦長で、特徴のある形を示している。眉は群青で、口髭は墨であらわされ、口唇には朱が入る。また稜線を朱で描く。頸には三道相をあらわし、大衣、褊衫、裙を着す。肉身部は金泥で彩色され、衣部には截金により文様が施される。
 截金の文様は、大衣の条葉部及び縁には多弁の花文が描かれる。大衣の田相部には卍繋ぎ文が施される。衲衣の裏には網目文が施される。また、褊衫の表には麻の葉繋ぎ文、裏には斜格子文が施される。褊衫の縁には波目文が描かれている。裙には石畳文が施され、縁と腹前にのぞく部分には多弁の花文が描かれている。
 光明は頭頂から直に延び、頭頂部のほぼ一点から放射しており、いわゆる身光ではない。また、裙の縁と胸前にのぞく部分に多弁の花文を描く事例は珍しい。三角形の頭部、量感のある幅広の面相は独特であり、本願寺系の方便法身阿弥陀如来画像とは一線を画す。絹目は、本願寺系の同種の画像と比べると密である。 
 この画像には残念ながら裏書は同伴しない。しかし、前述した「大阪別院史料」には「阿弥陀如来絵像 文和四未年」という記述がある。文和4年(1355)まで遡ることは考えにくいが、特徴のある面相部の表情や、精緻な截金の文様を見ると、制作年代は15世紀代まで遡ると考えられる。市内に残る方便法身阿弥陀如来画像の古例である。
 紙本墨書十字・九字名号は楷書体の名号本尊で、大幅であり、大きな御堂に掲げることを前提としてあらわされたものと考えられる。2幅とも同筆である。筆は速く、勢いのある豪快な書体で一気呵成に書している。部分的に墨の剥落が見られる。裏書は同伴せず、筆者については不明だが、仏光寺派の寺院にこの種の名号が伝来することは極めて珍しい。本願寺教団では、蓮如期以降、紙本墨書による六字名号を本尊として下付することを盛んに行った。その影響を受けて、仏光寺派で制作された可能性を持つ名号本尊である。制作年代については16世紀に遡ると思われる。
 江戸時代の史料としては、寺観を整えつつあった18世紀前半以降の免物がまとまって伝来している。そのほとんどが裏書を同伴する。本山からの免物が群として伝来することは、度重なる火災を経験している市内、特に大坂市中の船場地域においては希少な事例である。
 太子画像・七高祖画像は、享保5年(1720)に仏光寺20世門主随如が下付した裏書を同伴し、4幅の絹本著色親鸞絵伝は、やはり裏書から、享保12年(1727)に21世門主寛如から下付を受けた什物であることがわかる。宛所はいずれも大坂御堂となっている。随如以降の仏光寺歴代門主の画像も一括して伝来している。それぞれ裏書を同伴し、宛所から、仏光寺大坂別院の呼称が、船場御堂、光専寺、平野御堂と変遷していく過程をたどることができる。20世随如画像は明和9年(1772)、21世寛如画像は明和7年(1770)、22世順如画像は寛政2年(1790)、23世随応画像は文政6年(1823)、 24世随念画像は弘化3年(1846)の下付である。7世了源と25世真達の画像も伝来する。この2幅は裏書がないが、「大坂別院史料」はそれぞれ天明4 年(1784)と慶応元年(1865)の下付としている。

用語解説

鐘楼(しょうろう) 寺院内にあって梵鐘を吊し、時を告げる施設

庫裡(くり) 仏教寺院における伽藍のひとつ。寺院の台所にあたる建物。庫裏とも書く。裡は裏の俗字であり、 どちらも“うち”や“なか”を意味する。また庫院、庫堂(くどう)ともいう

荘厳(しょうごん) 仏像や仏堂を、天蓋・幢幡(どうばん)・瓔珞(ようらく)などでおごそかに飾ること。また、その物

螺髪(らほつ) 巻き毛状になった如来の髪

肉髻(にっけい) 如来の頭頂部に一段高く隆起している部分で、悟りを開いた証とされる

三道(さんどう) 仏像の首にある三本のしわ

褊衫(へんさん) 両袖を備えた上半身をおおう法衣。下半身に裙子(くんす)をつける

参考文献

佐々木篤祐 『仏光寺史の研究』(1973)
大阪市教育委員会『大阪市文化財総合調査報告60 大阪市内所在の真宗関係史料 住吉区所在史料について(2)』(2005)

 

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