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大恩寺真宗関係史料 一括(9点)

2019年1月9日

ページ番号:9117

大恩寺真宗関係史料

だいおんじしんしゅうかんけいしりょう

絹本著色十字名号1幅・紙本墨書六字名号1幅・絹本著色聖徳太子画像1幅・絹本著色七高祖画像1幅・絹本著色親鸞絵伝4幅・木造阿弥陀如来立像1躯

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

宗教法人 大恩寺

所在地

大阪市淀川区三津屋南1

紹介

大恩寺真宗関係史料 絹本著色十字名号 写真

 大恩寺は淀川区三津屋の旧集落の内に所在する本願寺派の真宗寺院である。もとは弘法山大恩寺という真言宗の寺院であったが、応永年間(1394~1428)の兵火によって焼失し、天文10年(1541)に大内義興の子である祐了が、真宗寺院として再建したと伝える。
  15・16世紀代の中世大坂で、真宗勢力の浸透が果たした役割は大きなものがある。本願寺8世門主蓮如が大坂坊舎を開き、後に大坂本願寺に発展したことはよく知られている。また仏光寺12世門主性善・13世門主光教が平野に居したことが示すように、本願寺教団の勢力が強まる以前から、真宗とのかかわりは深いものがあった。特に、京と西国を結ぶ交通の要所である淀川流域には、西中島光用寺の光明本尊・絵系図・了源画像や、柴島の萬福寺に伝来する血脈相承図などの史料が伝来しており、蓮如期以前に既に、真宗勢力が相当程度浸透していたことを物語っている。光教の後継者である仏光寺経豪が、当時の仏光寺勢力の大半を率いて蓮如に従ったことは、本願寺教団の飛躍的な躍進の要因であった。本願寺教団傘下の淀川流域の真宗門徒集団は中嶋衆と呼ばれ、しばしば『天文日記』などに登場する有力な在地領主層であった。大恩寺の所在する三津屋は、細川晴賢や三好長慶が拠ったといわれる三津屋城があり、戦略上の拠点であった。『天文日記』に登場する中嶋衆の在所としては、野里・三番・大和田・幣嶋など、三津屋周辺の地名が見られる。現在、三津屋の旧集落内だけで、大恩寺を含めて本願寺派の寺院が4寺、この他に仏光寺派の寺院が1寺あり、真宗勢力の浸透の深さを示している。
  前述したように、大恩寺が真宗に転じたのは、天文10年(1541)のことと伝えるが、それより年代的にかなり制作が遡る真宗関係史料を伝来している。
 絹本著色十字名号は、蓮台上に金泥彩色で「帰命尽十方無碍光如来」の文字を記し、背後に截金と金泥彩色によって光明を描く。光明は四八本で、現状ではほぼ左右対称に描かれているが、若干段差がある。後補である群青の彩色の下に、光明の痕跡が見られる箇所もあるため、部分的に光明の位置が書き改められているものと見られ、当初はより左右の段差が激しかった可能性もある。文字については、表面の金泥は後補と思われるが、形状は当初と見られる。上下に「無量寿経」などから引用した賛を伴う場合が多いが、大恩寺本では賛は欠失している。裏書も同伴しない(左側の画像)。
 本願寺教団では、蓮如期の初期にこの種の十字名号が用いられた。それらは籠文字と呼ばれる独特の書体によって名号が記されている。この大恩寺本は籠文字ではなく、やや右上がりのダイナミックな筆致を示している。その筆致は、八尾市の慈願寺本に似たところがある。慈願寺本は、長禄2年(1458)の蓮如による修復裏書を同伴しており、制作年代は14世紀末から15世紀前半に遡ると見られる。従って、大恩寺本についてもほぼ同じ頃の制作ではないかと推測される。大阪市内に蓮如期以前に遡る真宗史料が伝来する事例は、淀川区西中島の光用寺に伝来する光明本尊など非常に限られており、貴重な史料である。
 紙本墨書六字名号は、蓮如期に多用された本尊である。本願寺教団が寛正6年(1465)に叡山から攻撃を受けて以降、蓮如が大量に執筆し、本願寺教団の本尊として用いられた様式で、草書体・墨書による。裏書や添状は伴わないことが通例で、大恩寺本についても同伴せず、筆者も伝わっていない。
 この種の六字名号について、いくつかのタイプごとに分類し筆者を特定していこうとする研究が近年盛んであり、その成果によれば、大恩寺本の特徴、すなわち全体にたっぷりした筆致であらわされていること、「南」と「無」の字間が他の字間に比べて近接していること、「無」の字の一番長い横画は、その下の横画と平行であることなど、本願寺9世門主実如筆とされる名号のタイプと共通する点が多い。制作年代は16世紀前半を下るものではなく、蓮如期以降に下付された本尊と考えられる。前述した十字名号と同じく、大恩寺の真宗転派の時期より制作が遡る作品である。推測だが、前述の十字名号をまつっていた三津屋地域の道場が、蓮如期以降に本願寺教団の教化を受けてその配下となり、改めて六字名号の下付を受けたのではないだろうか。大恩寺に伝来した過程は不明だが、あるいは真宗転派の時期が、伝承より遡る可能性も考えられる。
 現在の本尊である木造阿弥陀如来立像は、裏書や添状は伝来しない。しかし『木仏之留』には、慶長16年(1611)に大恩寺の浄空を願主として、本願寺派 12世門主准如が木仏を下付した旨の記述がある。本像は、衣文の截金による細密な文様が施されている点などから江戸時代前期の制作と考えられ、『木仏之留』記載の木仏と思われる。太子・七高祖画像は、寛永年間(1624~1644)に、やはり准如が下付した裏書を同伴する。4幅の親鸞絵伝は貞享3年 (1686)に本願寺派14世門主寂如が大恩寺宛に下付したのものである。
  大恩寺に伝来するこれらの中世から近世に至る真宗関係史料は、三津屋地域の歴史、さらには淀川流域の中嶋地域について考察するうえで、重要な歴史資料であるといえる。

用語解説

蓮如(れんにょ) 室町時代の浄土真宗の僧侶(1415-1499)。本願寺第8世。本願寺中興の祖

参考文献

大阪市教育委員会『大阪市文化財総合調査報告8 大阪市内所在の真宗関係史料 淀川区所在史料について(1)』(1997)

 

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