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木造阿弥陀如来立像(大安寺) 1躯

2011年12月6日

ページ番号:9133

木造阿弥陀如来立像

もくぞうあみだにょらいりゅうぞう

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕

所有者

宗教法人 大安寺(だいあんじ)

所在地

大阪市天王寺区生玉寺町

紹介

 法量 : 像高 93.5cm

木造阿弥陀如来立像 写真

大安寺は慶長元年(1596)に檀家の協力を得て、大誉久厳が開山したと伝える浄土宗の寺院である。
 本尊の阿弥陀如来立像は、元禄14年(1701)の地誌である『摂陽群談』に「本尊弥陀 安阿弥手造の尊像也」と記される。像の伝来の経過は不明だが、元禄当時から古仏と認識されていたことが知れる。
 脇侍(きょうじ)を伴わない単身像で、本堂中央の須弥壇(しゅみだん)上に安置される。
 右手を屈臂し、左手を垂下して、やや前傾した姿勢で蓮台上に立つ姿は、来迎の姿を写したものとして、平安時代以降、浄土教の隆盛とともに流行した様式である。
 快慶の作風を踏まえた安阿弥様(あんあみよう)による立像で、玉眼を嵌入する。
 構造は、頭部は耳後ろで前後に2材を寄せる。体部の根幹材も前後2材からなる。頭部前面材は、頭部背面材とは別材だが、体部前面材とは共木であり、三道下で割首する。体部背面材は頭部背面材と別材であり、両側に縦に1材ずつ別材を寄せる。右肩先、右肘先、右手首先、右袖口、左手首先、左手指先、両足先、両足ホゾなどは別材による。像底は各材を底板風に残し、上げ底とする。頭体ともに前後に材を寄せることを基本とする正当的な手法だが、体部背面材が三材からなるなど、細かい木寄せの手法も見られる。
 像の内側に漆箔(しっぱく)などが施された痕跡はない。ただし、頭部前面材の体部との接合部分で、外側からは見えない面に、漆箔の痕跡と、草木模様等の墨書が見られる。 ホゾには銘はない。また、体部根幹材の左胸部分の接合箇所に、細長い溝状の刳り込みが確認できた。
 刳り込みの長さは28cm、幅は2.5cmで、上端が細く狭まっている。かつて、経巻のような体内納入品があったことを類推させる。
  肉髻珠、白毫珠、金泥による彩色、右手首先、左手指先、両足先、台座、光背などは後補である。低い肉髻、中央が少し下がる髪際の線、目尻がやや上がる意志的な容貌、ふくよかな頬や肉感的な口唇は写実的で、作者の優れた彫技を示している衣摺(きぬずれ)は、快慶の様式を手本とする安阿弥様を示し、宋風の影響を受けた動的で装飾的な要素が見られる。快慶の作ではないが、『摂陽群談』が安阿弥手造の弥陀とすることも、決して故のないことではない。
 特に上半身の表現には複雑な衣文の処理が見られ、華やかな雰囲気を醸し出している。左胸の大衣の端で幾重にも細かく折り返すこと、左胸前に褊衫(へんさん)のたるみをのぞかせることなどが、その代表例である。
 両袖の表現も動的である。垂下する袖を正面から見ると、波打つように振幅をつける点は装飾的である。右袖の下端が大きく張り出している点は、像全体の均衡を考えると、非常に大胆である。また、右肩からかかる褊衫が、そのまま一息に大腿部の上まで垂下する表現には特色がある。安阿弥様の衣摺では、右胸の大衣に一度たくし込まれてから垂下することが通例で、このように褊衫が垂下する表現の類例としては、泉大津市生福寺の阿弥陀如来立像など、鎌倉時代後期の作品が知られている。
 一方で、動的な要素が抑制された表現も見られる。腹部から下方に繰り返されるU字形の衣文、両腰から脚部に及ぶX字状の衣文は、左右対称といってよく、衣文の幅も均等である。そのため動的な印象は薄く、上半身に比べると少し穏やかに感じられる。
 これらのことを勘案すると、写実的で優れた彫技を示す、快慶の様式を踏まえた安阿弥様の像であり、鎌倉時代後期、13世紀後半に制作された像と考えることが妥当である。
 市内に残る鎌倉彫刻の貴重な遺品である。

用語解説

脇侍(きょうじ) 中尊の左右に侍する像。阿弥陀に観音・勢至、薬師に日光・月光、釈迦に文殊・普賢など

須弥壇(しゅみだん) 仏堂内で仏像や龕(がん)を安置する壇で、 須弥山(しゅみせん)に象って称する

安阿弥様(あんあみよう) 鎌倉時代前期に活躍した仏師快慶の創始した彫像の作風。快慶が安阿弥陀仏と号したことに由来する

玉眼(ぎょくがん) 木彫像で、刳りぬいた目に眼を描いた水晶などの別材を入れ、和紙または綿で押さえて現実感を出す技法。鎌倉時代に盛行した

三道(さんどう) 仏像の首にある三本のしわ

参考文献

大阪市教育委員会『大阪市文化財総合調査報告書61 大安寺阿弥陀如来立像』(2005)

 

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