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【第22号】「育児書にない子育て~自閉症児の親からのメッセージ~発達障がい児&ファミリ-ケアステーション・NPO法人チャイルズ代表 是澤 ゆかり 

2022年10月30日

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我が子が障がい?


 寝ない、喋らない、目が合わない、あやしても笑わない、抱いても泣きやまない、それが幼児期の次男。一瞬のすきに本棚や引き出しのものを次々ぶちまけられ、ビデオテープは引き抜かれ、小麦粉や洗濯洗剤をばらまかれる…と思ったら台所の鍋釜を出しては並べ…1人笑い。
「やめなさい!」「何やってんの!」「何がしたいの!」そんな私の怒号しか響かない我が家…。1日3度の食事の時間…強い偏食、一時も座って食べない、しかも手づかみ…。歯磨きをしようと思うと指を思いきり噛まれ、うがいをさせようとしても全部飲みこむ。トイレトレーニングは果てしなく水を流すこだわりに萎え、お風呂に入れるとお湯をゴクゴク飲む。しつけをしようにも、どこから手をつけていいのやら。ジェットコースター状態の毎日。一歩外に出ればあっという間に行方不明。

としごの3人の男の子の子育ては激しくヘビーなものだった。睡眠障がいを持つ次男は夜も寝ないので、24時間自分がいつ寝ているのかわからないような毎日。意を決して相談に行った窓口で「もっとこの子に向き合って。しっかり関わってあげて。」母親失格の烙印を押された瞬間。その後、正式診断。

「知的障がいを伴う自閉症です」。この診断を受けて、初めて次男の子育てがスタートしたように思う。

共感できる仲間との出会い


 2歳で知的障がい児の通園施設に通いはじめ、そこでたくさんのお母さんと知り合う。自分と同じ思いをしているお母さんがこんなにたくさんいたなんて。皆も頑張っている…私だけじゃない…。共感できる仲間を得た私は、ようやく発達障がいについて学び始めた。

通園施設には、寄り添ってくれる保育士がいた。多動な次男の動きに付き合ってくれる理解ある支援者。ようやく、次男と離れる時間が持てることになり、初めてきょうだい児と当たり前に過ごす時間が持てるようになった。

通園時代のクラスメートの母たちとともに親の会チャイルズを立ち上げた。仲間と一緒に10年。孤立することなく、子育てできていたのはチャイルズの仲間がいてこそ。

違いを認め合い、共生できる街・大阪


 通園卒園後、地域の保育所、地域の小学校、地域の中学校と義務教育期間を過ごしてきた。次男は当たり前に地域で生きてきた。地域の方々に支えられ、お友達に関わってもらいながら、障がいのある子もない子も共に育つことを許された。

「違い」が「排除」につながってはいけない。次男の脳障がいは生涯完治することはないが、脳以外は健常児と同じように成長していく。自閉症が次男の全てではない。が、自閉症なくしては次男を語れない。だから、自閉症を正しく学び、また家庭での対応を実践してきた。

家庭実践


 定型発達の私たちの暮らしに、非定型発達の次男を合わせるのではなく、独自の発達をする次男の特性に、私たち家族が寄り添う。それが私たち一家の家庭実践の方針であり、それこそが自閉症児の子育ての基本である。

 ものや空間の共有が難しい次男に個別のスペースを確保することで、きょうだい児のストレスは相当軽減された。家の中で刺激になるものは撤廃(あいうえお表やキャラクターのカレンダーなど)し、歯磨き、手洗い、着替えなどあらゆる場面に手順書を用意し、自分でできることは自分ですることを目指した。時間がかかったり、注意がそれたりすることを、ひたすら待つ…それが親として一番難しいことでもあった。


 また、見通しを支援するために、4歳のころからスケジュールの提示をスタートした。言葉の理解は難しくても、視覚的な情報は効果的に伝わった。スケジュールを理解し、自ら判断して行動に移す。それは自立のために大切な力だったと言える。現在においてもスケジュールは次男の生活に欠かせないアイテムである。

 また、生活の中に小さなルーティンワークをたくさん作る…ことも目指した。「食事がすんだらお皿をさげて薬を飲む」「学校から帰ったら連絡帳と水筒を決められた場所に出して、カバンを所定の位置へ」など、毎日繰り返す一定の手順は、声かけなしでできるように支援を考えた。


 さらに「1人で適切に過ごせる力」を重視した。余暇活動が充実することは最も重要だった。ビデオを自分で操作できたり、大好きなお絵かきを思う存分できるように環境を準備したり、次男専用のパソコンも用意した。少しもじっとしていられなかった多動の次男も、次第に部屋で過ごせる時間が増え、現在では休日でもほとんど困ることなく静かな一日が過ぎていく。

子どもは家族だけで育てるのではない


 就学前からヘルパーさんも利用し始めた。親以外の人とでも過ごせるようになり、きょうだい児の希望する場所(映画やプラネタリウムなど)にも連れていくことができるようになった。ヘルパーさんが家庭に介入してくれるようになり、もっとわかりやすくコミュニケーションが取れるようにしなければ…と、さらに支援が進んだ。

きつい睡眠障がいと感覚過敏のため、4歳から投薬を始めた。主治医もまた、私の子育てには不可欠な存在だった。

 地域の中で育てられた次男は、多くの教員に関わってもらいながら、義務教育を過ごしてきた。毎年教員の様々な個性にこたえるように、多様な成長を見せてくれた。多くの先生方の対応の一つひとつが、次男の今を生みだしてくれた。保育士、教師、「いきいき」の先生、ヘルパーさん、ボランティアさん、実に多くの愛情に育まれ、ともに我が子を育ててもらった。その責任者たる私たち両親は、責任を持って次男を世の中に送り出す重責を背負っている。

子どもにとって「家」が無邪気に解放される空間であるように・・・


 他傷行為、自傷行為、器物破損、小さなパニックは現在も完全にはなくなってはいないが、多くの支援者と多くの仲間のおかげで、笑って子育てできてきた私は、不出来な親ながら、きょうだい児を含めた子ども3人に、最大のプレゼントができたのだと思う。
 親から子どもへの最大のプレゼントとは、親の情緒が安定していて、いつも機嫌よく笑顔で子どもと接し、聞き上手な親であること。子どもたちが、親からの愛情にゆるぎない自信を持ってくれること。

 あとわずかの時間で、子どもたちは親から自立していく。「子育て」は子どもたちからもらう最高のプレゼントの時間だと思う。その時間を惜しみつつ、大切にしながら、今日も子どもたちの好きなメニューを作って、ともに生きていこう。

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大阪市 教育委員会事務局生涯学習部生涯学習担当社会教育・生涯学習グループ

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