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1923(大正12)年 市立運動場開設、第6回極東選手権大会開催

2016年3月22日

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1923(大正12)年 市立運動場開設、第6回極東選手権大会開催

明治末期から大正時代(1912~1926年)にかけて大阪港が貿易港として発展し、築港大道路、大阪市電の開通、境川運河の開さくなどにより、港区は、水運・陸運の利便性が向上しました。この時代、大阪市の人口は増加し、港区内の宅地化も急速に進みました。

当時の港区は、水路が縦横に走る低湿地であったため、住宅地とするためには土地の埋め立てが必要でした。広大土地開発を進めるために、辰巳屋という地主と市岡土地株式会社が市岡方面、そして安治川土地株式会社が朝潮方面の土地の埋め立てや開発・経営等を進めました。

市立運動場開設、第6回極東選手権競技大会開催

1923(大正12)年4月に完成した市立運動場は、同年5月に開催された第6回極東選手権競技大会のために、安治川土地株式会社が埋め立てた土地を大阪市が引き継いで整備しました。極東選手権競技大会以降、市立運動場は世界的に知られ、近畿地方で行われていた大きな競技のほとんどがここを会場として利用しました。

市立運動場は、200メートルの直線コース、1周400メートルのトラック、27,000人収容のスタンド、日本初の50メートルプールなどがありました。

第二次世界大戦中は、捕虜の収容所となり、1945(昭和20)年6月の空襲により焼失しましたが、1951(昭和26)年に公認陸上競技場として改修されました。

その後、1985(昭和60)年に、南港にインテックス大阪ができるまで国際見本市会場となり、現在は、大阪市中央体育館、大阪プールをのある八幡屋公園となっています。

第6回極東オリンピック大会入場式
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第6回極東オリンピック大会入場式 港区誌より転載

市立運動場
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市立運動場 大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより

市立運動場については、次のページからもご覧いただけます。

みなと物語 港区でいちばん広い公園八幡屋公園のひみつ

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