歴史・沿革
都島区は、明治22(1889)年「市制町村制」の施行による大阪市誕生ののち、市域拡張や行政区の再編成を経て、昭和18(1943)年4月1日、22行政区制実施により現在の区域として誕生しました。
古代には、アシの茂る砂洲にすぎなかった土地柄ですが、近世になって、区の南端部は山城・河内・大和の国々と難波の地を結ぶ交通の要衝として、中北部は近郊農村として発達しました。
また、区の北部を流れる淀川は、「淀二十石船」「三十石船」に代表されるように、京都と大阪を結ぶ水運の大動脈として利用されてきました。
古代から数え切れないほどの洪水を繰り返してきた淀川は、明治18年の大洪水を契機として改修への取り組みが始まり、明治42年に新淀川が開削され、その翌年には毛馬の洗堰が築造されて大阪の近代化に大きな役割を果たしました。
この淀川大改修を受け、豊富な水利用に着目した大小の工場が区の中・北部の淀川沿岸に進出、急速な工業地帯化が進みましたが、昭和40年代後半から、社会問題化した公害対策等のため、こうした工場は相次いで地方へ転出し、その広大な跡地は大規模集合住宅群に姿を変えています。
また、中野町の市電都島車庫跡地及び旧国鉄淀川貨物線跡地には、総合医療センターや保健福祉センター分館、スポーツセンターなどの公共施設が整備され、都心に近く居住環境に優れたまちなみが誕生しています。
かつて京街道の起点に近く、交通の要衝として賑わった京橋地域は今もなお、JR環状線・学研都市線・東西線、京阪電鉄、地下鉄長堀鶴見緑地線が相互に連絡し、大阪東部の玄関口として、また商業のまちとして知られています。