竹喬は1903(明治36)年、京都の竹内栖鳳(1864-1942)に師事しました。当時の栖鳳は写生派の伝統とカミーユ・コロー(1796-1875)の写実表現を融合した作品を描いていました。
栖鳳の革新的な制作姿勢の洗礼を受けた竹喬は、その後ポール・セザンヌ(1839-1906)などの西洋近代絵画と、富岡鉄斎(1837-1924)など南画の影響を受け、大胆な筆触と鮮やかな色彩による作風を展開しました。
その成果の一つが1916(大正5)年の第10回文展特選《島二作》です。しかし翌年の文展では十分な評価が得られず、1918(大正7)年には国画創作協会の結成に参加します。
この時期、目指す写実表現が岩絵具など日本画の素材では十分に達成されないことに悩み、その解決のため1921(大正10)年に渡欧します。その結果、東洋画における線の表現について再認識することとなり、江戸時代の南画を改めて学びます。
そして、池大雅(1723-1776)を思慕して描いた1928(昭和3)年の《冬日帖》によって、西洋というフィルターを通した線描と淡彩による南画風の表現に到達します。
花の山 1909(明治42)年
島二作(早春・冬の丘) 1916(大正5)年 笠岡市立竹喬美術館
波切村 1918(大正7)年
夏の五箇山 1919(大正8)年 笠岡市立竹喬美術館
冬日帖 1928(昭和3)年 京都市美術館
竹喬は1939(昭和14年)頃より、それまでの線描と淡彩による南画風の表現を、面的な対象把握と日本画の素材を素直に活かした大和絵的表現へと変えていきます。そして、日本の自然の変化に濃やかな視線を注ぎ、その素朴な移ろいを、自然の息遣いや香りとして捉え、明快にして温かみのある、彩り豊かな画面を構成していきます。
その自然と竹喬との素直な対話は「虚心になると自然は近づいてくる」という言葉に象徴され、次第に独自な世界を切りひらいていきました。対象とする自然は特別な場所ではなく、身近でさりげない水面や野辺、そして自宅の庭越しに見上げた樹木や雲でした。
そのなかでも夕焼けの空を背景とした樹木の姿は、1974(昭和49)年の《樹間の茜》などに描かれ竹喬絵画を代表するモチーフとなっていきます。
さらに晩年の1976(昭和51)年には、その詩情豊かな感性を松尾芭蕉(1644-1694)の自然観と融合させた10点の連作《奥の細道句抄絵》を発表します。この作品により、色彩画家として類例のない清澄な世界を確立することとなります。
秋陽(新冬) 1943(昭和18)年 大阪市立美術館
奥入瀬の渓流 1951(昭和26)年 東京都現代美術館
深雪 1955(昭和30)年
池 1967(昭和42)年 東京国立近代美術館
樹間の茜 1974(昭和49)年 笠岡市立竹喬美術館
日本の四季 ・京の灯 1974(昭和49)年 天満屋
奥の細道句抄絵・あかあかと日は難面もあきの風 1976(昭和51)年 京都国立近代美術館
奥の細道句抄絵・まゆはきを俤にして紅粉の花 1976(昭和51)年 京都国立近代美術館
奥の細道句抄絵・暑き日を海にいれたり最上川 1976(昭和51)年 京都国立近代美術館
奥の細道句抄絵・田一枚植ゑて立ち去る柳かな 1976(昭和51)年 京都国立近代美術館
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