埋め立てでできた農村
[2011年4月1日]
加賀屋新田は、富田林の加賀屋甚兵衛が約200年前にひらきました。甚兵衛は商売で堺に行きましたが、そのときに紀州街道から西の方に見える浅州が新田開発によいことを知り、ここに新田を開こうと決意しました。甚兵衛は、のちに新田開発の功績を認められ、「桜井」という名字をもらったといいます。
加賀屋新田会所跡(愉園)は当時の新田開発事務所で、今も建物や広い庭が残っており、そのころのようすをしのばせてくれます。加賀屋新田は、三代目甚兵衛、村上庄左衛門、駒井丹次郎、岩田平七などの手によって西へ西へと広がっていきました。
