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住吉区のなりたち

[2009年3月16日]

 

 住吉区の歴史は古く、昔から「すみのえ」あるいは「すみよし」と呼ばれ、平安時代には海の守護神として名高い「住吉大社」とともに栄え、その後幾多の変遷を経て今日に至っています。
 地形的には、住吉大社から大阪城に至る上町台地と堺市上野芝、三国ケ丘、我孫子、田辺を経て生野、勝山方面にのびる我孫子台地の二つの丘陵からなる高台地区であり、この丘陵の中間の千躰、沢之町あたりは、往古は海辺であったといわれています。
 また、大阪と泉州・紀州を結ぶ紀州・熊野街道などの交通要衝として南北交通が古くから開け、また、大陸交易の本拠地となっていました。
 大正14年4月1日に大阪市の第2次市域拡張際、東成郡の12町村が大阪市に編入され住吉区が誕生しましたが、その後人口増加が著しく、昭和18年4月1日の分増区により、当時の阿倍野区・東住吉区にあたる区域を分離しました。
 そして、耕地整理、さらには土地区画整理事業などにより「まちづくり」が進み、都市形態も大きく変貌しました。また、昭和30年頃から公営住宅の建設が進み、急激な人口増と、昭和33年から始まった南港埋め立て事業の進捗で市内屈指の大区に発展し、そのため、昭和49年7月22日には「住吉区」と「住之江区」に分区され現在に至っています。

 


(摂津名所図会より)

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