住吉区は、市内でも最も古い歴史を持つ地域の一つで、歴史的地名も数多く存在していましたが、明治以降のたび重なる行政区再編成等のなかで次第に整理統合され、現在の104町になっています。このうち、古くから伝わる19の地名について簡単にその由来を説明しました。(50 音順掲載)
近世初頭、浅香善右衛門宗胤が先祖の城跡を豊臣秀吉から与えられて土地を開発したことに由来する。浅香氏の姓から採った説のほかに、聖徳太子ゆかりの香木「浅香」が付近の浜に打ち寄せられたことによるという俗説がある。
譜代文献に見られる「依羅宿彌我孫忍麻呂」など、我孫子氏が当地付近に居住していたことに由来する。「依網阿毘古」(『古事記』)、「依網吾彦男垂見」 (『日本書紀』)、「我孫八豊城入彦命男八網多命之後ノ者」(『新撰姓氏録』)等が当地と「あびこ」の関係を伝える。
『万葉集』に詠まれている「すみの江の遠里小野の真萩もて…」など、古代からの当地付近の地名に由来する。『太平記』の「住吉合戦」の項に「瓜生野の北より押寄たり」とあり、瓜生野から遠里小野に転じたとの説もある。
『万葉集』の古歌に見える「住吉の粉浜」の地が当地域を示すとの伝承により命名された。
むかし、当地域に美しい清水が湧き、周辺の農地をうるおして「清水田」と呼ばれていたことに由来する。
古代から中世の歌集に必ず詠まれている地名で、当地域が大阪市に編入された際の町名の多くが旧墨江村の大字名であった。
住吉大社に由来する広域の地名を継承するもの。住吉大神が住むべき国を探していた際、当地に至って「真住み吉し」として社地を定めた故事による(『風土記』)と伝えるが、『新撰姓氏録』の住吉氏が当地を管掌したとする説もある。
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徳川幕府が千歳を祝して名づけた松栄亭と、ここにあった正印の御筥が秘符されて内部の正躰に接することがないという伝承に由来する。
帝塚山古墳に由来する。帝塚山古墳は古代豪族大伴氏にかかわる墳墓といわれ、大手塚、小手塚とよばれていたのが語源と伝えられている。
周囲約八百メートルの大御池が古くから町域に存在していたが、地元ではこれを長居池と俗称していた。『摂津名所図会』に長居池・長居浦が見え、「霜さえて小夜も長井の…」(『千戴』)の古歌もある。
大依羅神社境内地にあった依羅井が「庭井の清水」と俗称されていたことに由来する。
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