
大阪市の南部にある住吉区は、大阪城付近から南に細長くのびる上町台地と、その南にある我孫子台地でできています。
その中でいちばん高い帝塚山古墳(てづかやまこふん)の東と南にはむかし池があり、人々が楽しむ場所になっていたようです。

古代(こだい)の上町台地(うえまちだいち)とまわりの海岸線(かいがんせん)の想像図(そうぞうず)

古代(こだい)の大阪は豊かな森林におおわれていましたが、今はとてもへってしまいました。でも、住吉区では住吉大社にたくさんの樹木(じゅもく)が残 (のこ)っています。むかし、海岸が近くにあったので海の近くで育つ植物なども多く見られます。

豊(ゆた)かな森林(しんりん)の残(のこ)る住吉大社境内(すみよしたいしゃけいだい)
十数万年前(じゅうすうまんねんまえ)の大阪は深さ20mの海の底にありましたが、海底の地面が上にあがってきて陸地になりました。日本は大陸とつながっていたので、ナウマンゾウなどが大阪にわたってきていたのです。
平成3年には浅香一丁目で足あとが発見されています。

ナウマンゾウの足(あし)あと

住吉区には住吉大社境内(けいだい)遺跡、山之内遺跡、遠里小野(おりおの)遺跡などがあり、住吉大社では旧石器時代(約1万年以上前)の石器、山之内では縄文時代(約2300年以上前)の石器や土器が発見されています。

帝塚山古墳(てづかやまこふん)

遺跡からは竪穴式住居(たてあなしき)と掘立柱(ほったてはしら)建物などが見つかっています。
そこに住んでいた古代の人々はどきで海水を煮て塩をつくり、海でタコや魚をとって暮(くら)していました。川が海に流れこむあたりは土地がよく、お米をつくるための水田がたくさんありました。

タコをとるための蛸壺型土器(たこつぼがたどき)
住吉区にも帝塚山古墳(てづかやまこふん)をはじめ数ヵ所に古墳が発見されています。円筒埴輪(えんとうはにわ)などが発見された帝塚山古墳は特にめずらしい前方後円墳(ぜんほうこうえんふん)で、この古墳の東にも古墳だったと思われる池があり、その型からもっと大きな古墳があったと考えられています。

帝塚山古墳(てづかやまこふん)
(帝塚山西(てづかやまにし)2丁目(ちょうめ))


失(うしな)われた帝塚山古墳(てづかやまこふん)
(「新修大阪市史(しんしゅうおおさかしし)」第1巻より)

●石器って何に使うもの?
むかしは鉄のかわりに石をけずって包丁(ほうちょう)として使ったり、木の先にくくりつけてヤリやオノにしていた。
●古墳(こふん)ってどんなもの?
土や石を盛って(もって)小さい山のようにした、おおむかしの王様や
貴族(きぞく)のお墓。いろいろな形がある。
●じゃあ前方後円墳って?
古墳のひとつ。丸と四角をくっつけた形をしているのでこうよばれている。
●竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)・掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)って?
むかしの家の形。竪穴式は穴をほって屋根をかぶせたもの。
●円筒埴輪(えんとうはにわ)って何をするもの?
古墳(こふん)のまわりにいっしょにうめられる土でつくった像。
人や馬の形をしているものもある。
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