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再発見!すみよし文化レポート その4

2024年3月19日

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再発見!すみよし文化レポート その4 「東洋の魔女」丸山サタさん

住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。

 

経験を通して得るもの 「東洋の魔女」丸山サタさん

 2013年9月に、来る2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定しました。1964年開催の東京オリンピックでは、「東洋の魔女」と呼ばれる女子バレーボールチームが大活躍し、その姿に、日本のみならず世界中が熱狂しました。チームの最年少選手(当時)であった丸山(旧姓 磯辺)サタさんに、今までのバレーボール人生について、また、今後のスポーツ文化への思いについて、自身もスポーツマンである吉田康人区長と対談していただきました。

2020年の東京オリンピック開催をうけて

吉田区長  では、早速ですが、1964年の東京オリンピックに出場したお立場として、2020年に開催される東京オリンピックのことはどう受け止めていますか?

丸山さん 自分が出場したときには、「バレーボール」しか見えていませんでした。よく会場や食堂、選手村の当時の様子を聞かれるのですが、そういった思い出は一切ないです。だから、今度は雰囲気を楽しみに行きたいです。また、出場する選手については、国内での開催なのでより力が出るんじゃないでしょうか。応援が多いでしょうから、それが力になると思います。がんばってほしいですね。あとは、子どもたちにオリンピックの素晴らしさや「感激すること」を知ってほしいです。近頃は興奮することも少ないですしね。どんな競技にもエキサイティングしてほしいです。

吉田区長 子どもたちに楽しんでほしいと?

丸山さん 国内開催なら時差がないから、子どもたちもテレビで見られるでしょう。あとは、修学旅行などで観戦してもいいですね。亡くなられた河西さん(当時の全日本女子チーム主将中村(旧姓 河西)さん)とは2月に会ったときに、「(2020年)9月に東京オリンピックが開催されたらみんなで見に行こう」とお約束したんですが、亡くなられてしまい残念です。

吉田区長 そうですね、、、残念です。東京オリンピックがあらゆる人にとって、なにかしらの良いきっかけになればと思いますね。

 


左が丸山サタさん、右が吉田康人区長

何も知らないところから始めたバレーボール

吉田区長 ところで、丸山さんがバレーボールを始められた元々のきっかけは何ですか?

丸山さん 背が高いからです(笑い)。ソフトボールをやっていたんですが、中学生のときに、ある先生に勧められたんです。それだけなんです。「君は背が高いからバレーボールをやりなさい。」と。それまでバレーボールについては何も知りませんでした。その先生もあまりバレーボールにお詳しくなく、教本を読みながら指導していただきました。指導にはやはり限界があり、それ以上は、より進んだ指導をその先生からしていただくのは難しかったですが、それでも、中学二年生のときに、県大会で優勝しました。

吉田区長  強豪校でもなかったのに?

丸山さん ええ。初歩からきっちりやったのが良かったんですね。欲がないのも良かったと思います。精神的に鍛えていただきました。田舎の学校だったので、まわりに麦畑があるんです。練習中にボールが麦畑に落ちると、辺りが暗くなるまで探させるような先生でした。板の間でお説教されたりもしました。今では考えられないでしょうが、あのときはあれがよかったんだと思います。きつい練習で精神を鍛えてもらいました。そのあと、四天王寺高校や日紡でも、「うちに帰りたい」と弱音は吐きませんでした。中学生のときに、「勝つためには苦しいことをしなくてはいけない」と教えていただいたんですね。


和やかな雰囲気でお話がはずみました。

厳しい練習、そこで得たものは?

吉田区長 監督と言えば、全日本チームの大松監督が有名ですが、大松監督との思い出は?丸山さんの中ではどういう位置づけの人ですか?

丸山さん 在学していた千葉県神崎中学校は利根川の側にあるんですが、そこまで大松監督が来られたんです。監督と校長と母と三人で話し、監督が大阪まで私を連れて帰られることになりました。母が家に荷物を取りに帰り、「大阪まで行ってきなさい」と私に言いました。大阪行きの夜行列車の中で、初めてじっくりと大松監督と話をしました。金縁眼鏡でやせておられて、怖い印象でした。まだ幼かったので不安もありました。

吉田区長 監督は厳しかったですか?

丸山さん 練習は厳しいですが、手はあげられませんでした。9メートルあるコートの端から監督がボールを投げ、ボールを追って走ってコートの反対側でそれを取る、という練習がありました。10本あがる(注意:ボールを回転レシーブして上にあげるの意味)まで終われないので、50回、60回と走るんですが、監督は人任せにされず、全部自分でボールを投げられるんです。また、試合に見立てた練習では、ポイントしたら1点、ミスしたらマイナス1点と採点して、10点になるまで続けるのですが、選手6人がローテーションするまで、先生がちゃんとご覧になっているんです。練習は嫌ではなかったです。必死でした。先生の練習方法にどんどん引きずり込まれている感じでした。厳しい練習をして勝つことができて、「厳しい練習をすれば目標を達成できる」とわかりました。

吉田区長 厳しいけれど、ゲーム性も持たせた練習だったんですね。「厳しい練習をすれば目標を達成できる」とわかった丸山さんが、そこで得たものは何ですか?

丸山さん まずは、へこたれないことです。どんなことも、あの練習に比べると大したことないですから。精神面では特にいろいろ教えていただきました。目上の人を立てなさい、とか。いまだにチーム内では私は最年少ですから、みなさんは私のことを愛称で「イソ」と呼ばれますが、私はみなさんを「○○さん」とお呼びします。近頃はそのほうが自然だと思うようになりました。お互い友達には違いないですが、相手を立てるほうが精神的に楽ですから。

吉田区長 精神面で鍛えられたんですね。ご自身がされる指導方法にも影響はありますか?

丸山さん 子どもに接するとき、ケガをしたときに「大丈夫?」って聞くと、子どもは余計に泣くんです。そうではなくて「大したことないよ」と声をかけるとケロッとしています。

吉田区長 その受け止め方も、厳しい練習で得たものですか?

丸山さん ええ、そうです。もちろん、ケガの程度を見てですが。

体罰?指導?いじめ?

吉田区長 恐らく、よく意見を求められるとは思うのですが、体罰やスポーツ指導のあり方について、どうお考えですか?

丸山さん 高校のときは、凄まじい練習でした。その当時はそれが普通だと思っていました。水も飲ませない指導でした。

吉田区長 私が学生のときも、まだ、うさぎ跳びを当たり前にやっていましたからね。

丸山さん 今は子どもにはうさぎ跳びはさせませんからね。私は試合中に水を飲まずに日射病になり、試合に勝ったとたん、倒れたこともあります。なんでもかんでも厳しい指導がだめ、という風潮もよくないとも思いますが、桜宮高校の件は、自殺した子は大変かわいそうです。このことが体罰について考えるきっかけになってほしいです。選手と指導者の信頼関係が必要ですね。

吉田区長 愛情のこもった厳しい指導もあるということですか?

丸山さん 例えば、子どもたちを指導しているときのことですが、バレーボールの練習中に、ボールひろいをしない子どもがいるんです。自分がプレーしているときは、他の子どもが拾ってくれていても、他の子どもがプレーしているときは、自分はボールを拾いに行かないんです。そんな時は、「あなたがプレーしているときは、友達がボールを拾ってくれているよ」と教えます。拾いに行かない子どもには、わざとボールを転がして、拾いに行かせることもあります。これは体罰でしょうか。何をどう指導したらいいでしょうか。難しいですね。選手が「体罰」だと思えば「体罰」になる。指導者は叱り方をきちんと考えなければいけない。

吉田区長 いじめの場合はされた側が「いじめ」と受け取ると「いじめ」になりますね。

丸山さん 私が選手だったときも、チーム内で投掛けられる言葉がすごいんです。私は一番年下でチームに後から入ったので、すでに関係が出来上がっている他の5人には「あんたなんかいらない」と言われたり。これもいじめだと思えばいじめです。私は「私を強くしてくれている」と思っていました。

吉田区長 これからのスポーツ指導については、どうお考えですか?

丸山さん 子どもの頃から小さい我慢をしていない子どもが多いと思います。スーパーマーケットでお菓子をねだられても、我慢させるなどの小さな積み重ねをさせることが必要です。もちろん、甘えていいところでは甘えさせて、厳しくするところとを分けるんです。私は子どもたちに指導するときには、保護者の方に練習や試合に来ないでくださいとお願いします。子どもたちが集中しにくいんですね。うちの息子が高校生で水泳選手だった頃も、周囲からは至れり尽くせりすぎましたね。私は行きませんでしたが、選手に保護者がついてまわったり、指導者も選手に気を使ったり。周囲は選手に至れり尽くせりすぎです。

吉田区長 体罰はもちろんダメですが、だからといって至れり尽くせりも違う、と。

丸山さん 親が育ててもいるんですが、指導に関しては監督に預けているんです。指導に熱心すぎることも、あるかもしれません。それの全てが体罰と言い切れるか。今の監督たちは、やりづらいと思います。もちろん、大松監督は手をあげませんでしたが、これは選手がみんな大人で、言われる前にやっていたからだと思います。どこまでが体罰かどうか、定義ができるのか。言いにくいですね。難しい問題です。


当時の雑誌を見ながら、いろいろなお話をお伺いしました。

日本人らしいプレーって?

吉田区長 厳しい指導を受けて、厳しい練習をして、世界のひのき舞台に立った丸山さんですが、日本人らしいプレーって時代を経て変わっていくべきですか?残していくべきですか?

丸山さん 日本人らしいプレー。そうですね、、、日本人らしさは、プレーそのものにあるのではないと思います。粘り強さは日本人の魂だと言われますが、外国人選手も粘りますよね。

吉田区長 日本人らしさは、プレーよりも日ごろの練習に現れますか?

丸山さん そうですね。ちゃんと練習を重ねると頃に日本人らしさがあります。よく言われたのは、相手とは「7:3」の力の差をつけないといけないということです。外国人選手は体格もいいですし、他国での試合のときはホームの審判は日本チームには厳しくなります。だからバレーボールでは「6:4」ではなく「7:3」で力の差がないと勝てないと言われました。

吉田区長 体格差やいろんなハンディを埋めるのも、練習ですか?技術面はどうですか?

丸山さん いろんな技術が外国でも使われるようなりました。外国チームはそれを取り入れるのも早いですよ。「木の葉おとし」もそうですが、サーブの仕方、アタックの仕方もそうです。

吉田区長 練習も技術も世界のほうが新しいものを早く取り入れている。世界の標準ではない日本が目指すべきやり方は何でしょうか?また、スポーツ全体に望むことはありますか?

丸山さん 技術は上がっていると思います。あとは、根性と粘り。テレビで見ていても手を抜いて打っているんじゃないかと思えるプレーもあります。サーブミスに対しても、割と気楽に考えているんでしょうか。一本一本のプレーを大事にしないといけないのにな、と思います。

吉田区長 何が足りないですか?

丸山さん  男女ともにレベルは上がってきている。ちょっと前はタレント扱いされて、テレビや新聞で騒がれるので格好ばかりを気にした選手もいましたが、この頃はいないと思います。しかし、ガムシャラな気持ちがない、周りが見えないくらいガムシャラになってほしい。

吉田区長 ガムシャラさがいるんですね。

国際化、グローバル人材とは

吉田区長 「東洋」という言葉は今はあまり使わないですが、「日本」でもなく、「アジア」でもなく、「東洋」の魔女と呼ばれたことについてはどう思いますか?

丸山さん これは日本人がつけたのではないんですね。私の子どもたちは学校で「魔女の子ども」とからかわれて、子どもたちに、学校に来ないでほしいと言われてしまったこともありました。日本では「魔女」という言葉はあまりいいように聞こえませんものね。「東洋の魔女」はロシアの人が呼び始めたんです。元々は、ブラジルで世界選手権大会があったときに日本チームが初出場で2位になり、強いけれども、いずれは消えるだろうという意味も込めて、「東洋の台風」と呼ばれました。ヨーロッパ遠征で22連勝したときは台風のようにはなかなか消えないから、「東洋の魔女」と呼ばれだしたんです。

吉田区長 それはあくまでも「西洋」から見た「東洋」ですよね。日本人の国際化についてはどう思われますか?グローバル人材の育成にも関連すると思いますが。

丸山さん 国際化、グローバル、というのは「世界で闘える人間」ということでしょうか。それは「話ができること」だと思います。たとえ語学ができなくても外国人の方を避けないで、堂々と物事を言えるようにならないといけないです。


東京オリンピックの金メダルです。

経験していないことしか言えない

吉田区長 堂々と喋れる、ということが大事なんですね。その為にはどうすれば?

丸山さん 経験、です。私はバレーボールを通して何年もかかって優勝までたどり着いたんです。指導者にもよると思います。大松監督のおかげであそこまでいけたんです。

吉田区長 様々な経験を積み重ねることが重要なんですね。国際化というと、世界を知る、言葉を知るということに意識がいきがちですが、日本のことを知って自分の経験値をあげないといけないんですね。

丸山さん 日本のことを知って、堂々とすることが大事ですね。

吉田区長  一つのことを一生懸命された方は、何でも「語れ」ますね。

丸山さん 私もミスはいろいろしていますよ。ただ、経験してないことは言えないですから。

アスリートには指導者や援助が必要

吉田区長 では、住吉区、バレーボールに関わらず今後の目標、めざすものは何ですか?

丸山さん まずは、7年後の東京オリンピックまで元気でいたいです。そして、子どもたちに指導がしたいです。孫が小学2年生ですが、バレーボールを教えてと言っています。小学1年生からでもメニューを工夫して練習できますからね。

吉田区長 もっと身近に、住吉のスポーツ、大阪のスポーツにおいて、何を期待しますか?

丸山さん アスリートには指導者や援助が必要です。マイナーなスポーツを応援してほしいです。具体的には就職先などです。女子サッカーのなでしこも優勝してやっと援助がありました。もちろん、全員が花開くわけではないけれど。

吉田区長 むしろ、花開く人の方が少ないですね。日の当らない努力をしている人がほとんどです。

丸山さん 頑張っている人がなかなか報われませんからね。あとは、子どもたちの運動能力と体力のなさが気になります。

吉田区長 体力がない子どもが増えているという現状にみんなが意識を持つ仕組みは必要ですね。


丸山さんのお話に、区長も引き込まれています。


当時のお話をいきいきとされる丸山さん。

最後に、メッセージを

吉田区長 では最後に、住吉区のみなさん、特に子どもたちにメッセージをお願いします。

丸山さん 大阪市住吉区の子どもたちが、「一番元気はつらつだ」と言われるようになってほしいです。礼儀正しく、元気はつらつに。住吉にはこんな子どもたちが多いよ、と言われるようになってほしいです。訪問すると、いつもあいさつを元気にしてくれる中学校もあります。どの学校もああだといいですね。

吉田区長 健康面でも精神面でも元気が大事ですね。あいさつも大事です。要は、コミュニケーションですね。今日はありがとうございました。

 

その他、丸山さんからはスポーツ文化に対して、区役所サービスに対してなど、真摯なご意見もいただきました。お忙しい中ご協力いただきありがとうございました。


丸山さんから区長にメダルをかけていただきました。


メダルをかけてもらい、ちょっと恥ずかしそうな区長。


メダルをお借りして撮影させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 


丸山(旧姓 磯辺)サタ( まるやま さた)

千葉県出身

中学時代にバレーボールを始める。卒業後、日紡貝塚に入社。四天王寺高校入学。卒業後再度日紡貝塚で活躍。

1962年世界選手権優勝

1964年東京オリンピック優勝 

現在、住吉区内在住。アマチュアチームや小学生チームの指導にあたる。

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