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再発見!すみよし文化レポート その24

2024年3月19日

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再発見!すみよし文化レポート その24 美術家 今井祝雄(いまいのりお)さん

住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。

 

自分流の何かで、毎日の生活を豊かに


今井祝雄「白のセレモニー HOLES #5」1966年 大阪新美術館建設準備室蔵

 

 戦前から関西における前衛のパイオニアとして活躍していた吉原治良をリーダーに、彼に作品の批評を受けていた若い作家たちによって結成された具体美術協会。「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」という吉原氏の言葉に沿い、若い作家たちは多くの作品を生み出し、大阪を拠点に活動し、海外からも注目されました。協会の最年少会員(当時)であり、高校生にして個展を開いた住吉区在住の美術家今井祝雄さんに、当時の具体美術について、最近の具体美術への再評価の機運について、また、若い作家たちや住吉や大阪のこれからについてお伺いしました。

具体との出会い

―子どものころの今井さんはどんなお子さんだったんでしょうか。

 マンガが好きでしたね。貸本屋さんに入り浸ってマンガばかり読んでいました(笑い)。元々は、ストーリー作りが好きだったんで、マンガ家か小説家になりたいと思っていました。住吉小学校、住吉中学校から、大阪市立工芸高校美術科に進みました。工芸高校は、中学校の担任の先生に「マンガを描くにも基礎がいるよ」と勧められたからです。高校生になってからは、純粋美術を知り、展覧会に行くようになりました。そこで、抽象画や具体(注意1)と出会いました。

 

注意1 具体美術協会(ぐたいびじゅつきょうかい、具体美術、具体、GUTAIとも)は、戦前から活躍していた洋画家・吉原治良を中心に1954年に関西で結成された団体

 

―中学校の先生の勧めがきっかけになったんですね。具体に出会ったのはいつごろですか。

 私が工芸高校1年生か2年生のころに、グタイピナコテカ(注意2)が開館しました。そこの内装を担当した会社の社長の息子さんが、たまたま同級生で、誘われて見に行きました。今まで高校で描いていた絵は、対象を見て描き、「その対象を再現する絵が良し」という考えのもとに描いていました。ところが、具体では、畳三畳ほどのキャンパスに原色で描かれていて、「これが絵なのか!」と衝撃を受けました。それから具体の展覧会に行くようになり、気が付くと自分も描いていました。

 

注意2 グタイピナコテカ:グタイピナコテカは、中之島(大阪市北区宗是町33)にあった吉原治良所有の明治時代の土蔵を改修した展示施設

 

―今井さんは高校生の時に初個展を開催されています。当時としても高校生の個展開催は画期的かと思いますが、どのような経緯で開催されたのでしょうか。

 個展「17歳の証言」を開催しました。高校では新聞部に入っていて、「工芸新聞」を編集していました。新聞に広告を載せる依頼をするために、画廊によく出入りしていました。ある時、展示の予定に急に穴が空いたとのことで、画廊のおばさんから、工芸高校の卒業生で誰か展覧会を開催する人がいないかと聞かれ、探しておくと約束していました。暫くして、その画廊に新聞の広告料を集金に行ったときに、先ほどの人探しのことをもう一度、画廊のおばさんに尋ねられたのですが、すっかり忘れてしまっていました。(笑い)そこで、私が抽象画を描いていることを画廊のおばさんはご存じでしたので、「あんたが個展をしぃ!」と言われて、個展を開催することになりました。高校生だということで、画廊の使用料金は半額にしてもらって、支払いも月賦にしてもらいました。その時には顔なじみになっていた吉原治良さんが観に来られて、新たな作品を、高島屋で開催された第14回具体美術展に出展しました。

 

―良い偶然が重なったんですね。具体美術協会で印象に残っていることはありますか。

 「グタイピナコテカ」は印象深いです。土蔵を改造した美術館でした。リノベーションですね。今でこそ、古い建物をリノベーションして活用することは、よく見られるようになりましたが、当時はスクラップ・アンド・ビルドの時代でしたから、画期的だったと思います。それに、「グタイピナコテカ」は私が現代絵画に出会い、衝撃を受けた場所でもありますし、大変印象深いです。


アトリエで当時の具体について語る今井さん。

―それからの今井さんはどのように歩まれて、今に至るのでしょうか。

 

 具体美術協会は1972年に吉原氏が亡くなり、解散しました。そのあとは、私は20歳過ぎから、写真を使う作品や映像表現作品を、京都市立美術館でアンデパンダンという無審査自由出品制の展覧会に多く発表しました。アンデパンダンは、何をやってもOK、作品の大きさの制限もないので、会場でぞっとするような経験ができるというか、無審査であるゆえの、驚くような作品に出会えることが多いです。具体の「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」という考えはずっとあります。また、自宅の2階をアトリエにして制作していました。大きい作品は材料代もかかるので、子ども絵画教室を開きました。そのころは、児童画ブームで、児童画教室が盛んでした。教室は20年近く続けていました。教室を開きながら作品の制作や発表を続けました。

 

―どんな絵画教室だったんでしょうか。

 

 私は自己流で教えています。子どもの精神バランスがとれるような、情操教育としてやっています。絵を描くだけではなく、マンガがいっぱい置いてある小さい別室で、絵が描き終わると子どもたちが寝転んでマンガを読んでいましたね。(笑い)子どもたちの息抜きの場所にもなっていたと思います。試行錯誤しながらやってきましたよ。母の日にお母さんの絵を描かせたんですが、歯が12色に塗り分けられたお母さんの絵を描く子どもがいたり。(笑い)口やかましいお母さんだったようです。(笑い)

 

―楽しそうな教室ですね。私も通ってみたかったです。(笑い)ところで、2013年のニューヨークグッゲンハイム美術館での展覧会「具体:素晴らしい遊び場」をはじめ、改めて具体への評価がされていますね。グッゲンハイム美術館への出展の経緯を教えてください。

 

 これも、良い偶然の重なりかもしれません。私は京都の成安造形大学で教えていたのですが、2012年に定年退任しました。その年から大学で「退官する教員は学内で個展を開催する」という決まりが出来て、個展を開くことになりました。普通に個展をやっても面白くないな、と考えて、学生たちと同世代のころの自分の作品を展示しました。ちょうど、展示企画をしていたグッゲンハイム美術館の学芸員が観に来られていて、私の作品を出展する運びとなりました。グッゲンハイム美術館での展覧会の後、1ヶ月後にアントワープでの個展、2014年のニューヨークでの個展「Perspective in White」、と続きました。大学を辞めて時間ができたことも、ちょうど良かったんですね。

解釈の仕方の新しさを


作品について語る今井さん

―若いころの作品を展示する、というのはおもしろいですね。若いころの作品をご覧になって、どのように感じられましたか。

 若いころの作品を見て、自分の現在を改めて見直す機会になりました。あの頃は何を考えて作っていたかな、とか、馬力があったな、と感じます。作品を見ても、あまり気恥かしさはありません。別の自分を見ているような感じです。

 

―当時の具体の作品を拝見すると、今現在の、過激であるとか奇抜であるとか言われているような表現が、既にその頃に扱われてしまっているな、という印象を受けます。これからの若いアーティストに言いたいことはありますか。

 60年代は具体に限らず、関西でも東京でもいろんな新しい動向が生まれました。過激さだけではない、表現の解釈の仕方というか、見た目だけではない、解釈の新しさ、ですね。

検証しないまち、大阪

―大阪についてお伺いします。作家として、大阪についてどう感じておられますか。

 大阪人は、いろんなものをすぐに受け入れるし、何でもおもしろがりますが、後々までフォローしないというか、すぐ忘れますね。岡本太郎さんの太陽の塔は、万博のあと20年間ほど放置されていました。近松門左衛門にしても、お墓の一部は谷町八丁目のガソリンスタンドのそばにひっそりとあります。近松は大阪から売り出したのですが、本墓のある尼崎市はイベントを開催したり、近松の名を付けた公園があったりします。具体にしても、吉原氏は淀屋橋生まれで、中之島に「グタイピナコテカ」がありました。具体は大阪拠点だったのですが、芦屋が拠点だと思っておられる方もいらっしゃいます。大阪には具体の痕跡がなく、芦屋の美術館には資料や作品が多くありますので、仕方ないのでしょうか。大阪は「面白い」で止まって、その後の「検証」が欠けていると思います。

生活の中で自分が表現する小さな場や機会


アトリエにはたくさんの作品が並びます。

―住吉や大阪がどんなまちになればいいと思われますか。

 美術館があるまちがいいと思います。アートプロジェクトが盛んであったり、もっとアートの感性が人と人との間に育まれることが望ましいでしょう。私は、大学は「具体大学」で学んだと思っています。美術教育はなかなか難しいですが、若い人たちには、具体のDNAを伝えたい。美術教育は常に模索しながら、型にはめずにいた方がいいと思います。

 

―アートの感性を育むことが必要なんですね。

 絵の嫌いな子どもはいません。私は9割誉めて、1割けなします。誉められたら張り切るでしょう。大人になると絵を描かなくなりますね。子どもと大人が一緒に絵を描くのもいいですね。子ども絵画教室では、額縁を調達して、子どもたちが教室で描いた絵を自宅に掛けてもらっていました。月にいっぺん、絵を差し替えてもらいます。先進的なことは余裕がないとできないでしょうから、まずは、大人が自分の子どもの絵を飾るところからですね。見るだけでなく関わってみる機会も必要です。また、大学では、春には学生に「20年後の自分を描く」という課題を出していました。時間のフィルターをかけることによって、学生が自分の将来や、自分の親について思いを寄せます。この「20年後」というのが重要で、50年後の自分であれば、安易に皺を描いてごまかすことができますが、20年後の自分を描くのには、学生はヘアスタイルや服装によって表現します。20年後の自分への手紙、というところでしょうか。次回1月30日に開催するワークショップも、改めて大人と子どもがお互いのことを見つめなおす機会になるでしょう。

 

―アートに触れることで、自分や誰かを見つめる機会になるんですね。

 そうですね。生活の中で自分が表現する小さな場や機会が持てればいいなと思います。ある友人が、自宅の前にある水道メーターのふたを開けたら、ピンクのメーターがある。そのメーターがかわいいので、その周りを飾っていると言うんです。月に1回、メーターの検針をする人が観るだけですが、これも立派な水道メーターのインスタレーションです。(笑い)ルールや作法にこだわらなくても、自分流の何かで、毎日の生活が豊かになれば、と思います。

 

今井さん、ありがとうございました。

今井祝雄(いまいのりお)
1946年大阪市住吉区生まれ、1964年第14回具体美術展(高島屋、大阪)、今井祝雄個展—17歳の証言(ヌーヌ画廊、大阪)に出展、1965年より具体美術協会会員(1972年解散まで)以降、出展および著書多数。直近の主な展覧会としては、次のとおり。
2015年 Norio IMAI, (Part I) White Event / (Part II) Shadow of Memory(Galerie Richard Paris, パリ)、PROPORTIO(Palazzo Fortuny、ヴェニス)、
今井祝雄 Time Collection(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku、東京)
2014年 今井祝雄 展「Perspective in White」(Galerie Richard NY、ニューヨーク)、今井祝雄-Retrospective-影像と映像(アートコートギャラリー、大阪)
2013年 今井祝雄 展「ON THE PIANO」(ギャラリーあしやシューレ、兵庫)、具体:素晴らしい遊び場所 [Gutai: Splendid Playground](グッゲンハイム美術館、ニューヨーク)
2012年 水のメディア芸術祭—Aqua Passage(しが県民芸術創造館、草津、滋賀)、
よむこと・紙出来(ギャラリーパルク、京都)、再生—メイド・イン・ジャパン(KUNST ARZT、京都)、A Visual Essay on Gutai at 32 East 69th Street (Hauser & Wirth、ニューヨーク)
今井祝雄“具体大学”セレクション(LADSギャラリー、大阪)、「具体」ニッポンの前衛 18年の軌跡(国立新美術館、東京)、今井祝雄“具体大学”のころ(成安造形大学、大津、滋賀)、今井祝雄—フレームの彼方(ギャラリーパルク、京都)
2011年 Masked PortraitⅡ-When Vibrations Become Forms(マリアン・ボエスキー・ギャラリー、ニューヨーク/〜2012)、 dutch avant-garde in an international context,1961–1966(スキーダム市立美術館、オランダ)、今井祝雄—フレーム・イン(CAS、大阪)、今井祝雄—フレーム考(LADSギャラリー、大阪)
2010年 かたちのちから—高度成長期の美術篇・大阪市立近代美術館コレクションを中心に(大阪市立近代美術館(仮)心斎橋展示室)

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