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Aコース(2)

2022年5月6日

ページ番号:360

(2)真田山(さなだやま)公園周辺

真田山公園 

〔真田山町(さなだやまちょう)〕

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真田山公園


 真田山公園は、騎兵第四連隊のあった跡に昭和14年(1939年)に開設され、現在は天王寺スポーツセンター、真田山プール(冬季:アイススケートリンク)、野球場、テニスコートなどのスポーツ施設も整備されている。
このあたりは大阪冬の陣(1614年)で真田幸村が活躍した古戦場でもある。公園の北、三光神社の西側には、真田山旧陸軍墓地があり、公園の南東には法円坂の地名で知られる法円が建立したとされる浄照坊がある。(右の写真:真田山公園)

真田山旧陸軍墓地 

〔玉造本町〕

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真田山旧陸軍墓地


 この墓地は明治4年の創設で、日本でもっとも早く設置された陸軍墓地である。墓地には西南の役、日清日露及び今次大戦に至る戦没者将兵ら5,100基以上の墓碑が整然と並び、納骨堂には8,100余の遺骨が祀られている。

浄照坊(じょうしょうぼう)

-真宗関係史料-
-室町~江戸時代 一括(13点)-
〔真田山町 浄照坊 大阪市指定の文化財〕

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浄照坊


 大阪の町は大阪(石山)本願寺のもとに営まれた寺内町がもととなって発展したといわれるように、大阪と本願寺教団の関連は深い。浄照坊は、蓮如の弟子である法円が開いたという由緒をもつ真宗寺院であり、本願寺教団と大阪の関係を考えるうえで重要な多数の史料を伝えている。今も残る「法円坂」の地名は法円の名前を語源としているといわれるが、法円は八尾の慈願寺の6世であり、蓮如の有力な門弟で、摂津・河内・和泉地方での教化に重要な役割を果たした。大阪本願寺の前身となった、蓮如による大阪御坊の建立にあわせて、法円が大阪の通寺として建立したのが浄照坊であるという。

 大阪市内に残る蓮如の時代にさかのぼる真宗関係史料は非常に限られているが、浄照坊にはそのうちのいくつかが伝来している。文明13年(1481)の蓮如裏書を伴う法円画像、蓮如自筆の御文(御文章)3通、蓮如開版の三帖和讃・正信偈、執持鈔文の4点の史料は、いずれも蓮如自身による逸物であり、本願寺教団と大阪の関連を考えるうえで最も重要な史料である。この他に実如が浄照坊3世の栄春に永正元年(1504)に下付した法光画像裏書、准如が慶長19年 (1614)に下付した親鸞画像も残る。また、浄照坊伝来の安土桃山時代から江戸時代の文書を集めた大坂浄照坊古証墨跡は、浄照坊と本願寺とのかかわりだけでなく、大阪の町の様子をうかがい知ることのできる文書を多数含んでいる。享保17年(1732)に浄照坊11世の慈春がまとめた浄照坊来歴も寺史として重要である。
  これらの史料は、いずれも中世から近世にかけての大阪を考えるうえで、極めて重要であり、その意義は高い。

 

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