下寺町(したでらまち)
生玉町から下寺町にかけてのかいわいは、いくつものお寺が密集した全国でも珍しい大規模な寺町が残っているエリアである。
寺町の建設は豊臣秀吉の時代、大阪城築城と同時期に誕生したとされ、更に大阪夏の陣(1615)のあと、大阪城主に任ぜられた松平忠明による寺院移転・統合により現在の寺町が形成されたと言われている。
特に松屋町筋沿いの下寺町一丁目から二丁目一帯は25もの寺院が軒を連ね上町台地の緑を背景に当時の趣を残しており、数百年の時を経て江戸時代の佇まいを今に伝えている。
ここでは紙面の関係で北から順に25ヶ寺を極く簡単に紹介する。
(下寺)-1 大蓮寺(だいれんじ) 應典院(おうてんいん)
下寺町1-1-30
天正19年(1550)開基足利尊氏。足利家の祈願所で往時、塔頭8ヶ寺直末75ヶ寺を有し近畿の名刹であったという「大蓮寺(だいれんじ)」、大蓮寺の塔頭(たっちゅう)寺院「應典院(おうてんいん)」、円形の本堂があり、ここでは心の文化センターとして多彩なイベントが行われている。
(下寺)-2 称念寺(しょうねんじ)
下寺町1-1-19
慶長元年(1596)の開山、徳川時代初期に泉州岸和田の海中から発見された石仏が一願観音として尊信を集める「称念寺(しょうねんじ)」。
(下寺)-3 浄国寺(じょうこくじ)
下寺町1-2-36
遊女夕霧太夫の墓で有名な「浄國寺(じょうこくじ)」、夕霧太夫は江戸の高尾、京の芳野、なにわの夕霧といわれるほどの絶世の美女であったという。
(下寺)-4 源聖寺(げんしょうじ)
下寺町1-2-25
「延命火除(ひよけ)地蔵尊」が奉られている「源聖寺(げんしょうじ)」。なお、源聖寺坂の名称は、昔境内をけずって東西に抜ける道にしたことからこう呼ばれている。
(下寺)-5 金台寺(こんだいじ)
下寺町1-3-88
創建当時(慶長11年)の姿を誇り、本堂へと続く太鼓橋の美しい「金台寺(こんだいじ)」。
(下寺)-6 萬福寺(まんぷくじ)
下寺町1-3-82
芭蕉句碑「尊かるなみだや染めてちる紅葉」があり、「新撰組」の屯所であったことで知られる「萬福寺(まんぷくじ)」。
(下寺)-7 大覚寺(だいかくじ)
下寺町1-3-77
「千手観音菩薩」が安置され、大阪三十三ヶ所観音巡り27番の「大覚寺(だいかくじ)」。
(下寺)-8 光明寺(こうみょうじ)
下寺町1-3-73
大阪狩野派の大岡春トなどの見事なふすま絵・屏風などが現存する「光明寺(こうみょうじ)」。
(下寺)-9 心光寺(しんこうじ)
下寺町1-3-68
タージマハルを小さくしたような不思議な本堂がある「心光寺(しんこうじ)」。
(下寺)-10 宗念寺(そうねんじ)
下寺町1-3-66
「宗念寺(そうねんじ)」の本尊である阿弥陀仏は、左手を上げておられるのが特徴である。右手をあげておられるのが普通。
(下寺)-11 光傳寺(こうでんじ)
下寺町1-3-64
(下寺)-12 超心寺(ちょうしんじ)
下寺町1-3-59
慶長8年(1603)開山、伝。幕末維新を駆け抜けた明治期の歌舞伎作者である勝歌女助(かつかめすけ)の墓のある「超心寺(ちょうしんじ)」には他に七代龍王神や柿本人麻呂大明神などを奉っている。
(下寺)-13 西往寺(さいおうじ)
下寺町1-3-56
室町時代の創建という「西往寺(さいおうじ)」、塀が赤いのは室町時代にこの寺を開かれた住職が薬事に精通していて、薬を取り扱っていたことかららしく、又、壁に白線が入っているのは帝より許可された証拠と言われる。
(下寺)-14 法界寺(ほうかいじ)
下寺町1-3-54
「法界寺(ほうかいじ)」の門を入ったところに祠(ほこら)がある。「安産地蔵」(別名-住吉の誕生地蔵)。このお地蔵さんには逸話があり、多くの人がお参りに訪れるという。
(下寺)-15 大光寺(たいこうじ)
下寺町2-1-32
文禄元年(1592)開山の「大光寺(たいこうじ)」。昭和15年に学園坂が通ったがこの坂元はこの寺の敷地であった。坂沿いの地蔵はその時に外に移したもので、この地蔵は通称「まんじゅう食い地蔵」と呼ばれている。おまんじゅうを供えると霊験(れいげん)あらたかと言われる。
(下寺)-16 善福寺(ぜんぷくじ)
下寺町2-1-41
天正19年(1591)開創の「善福寺(ぜんぷくじ)」、戦災で罹災し鐘つき堂以外すべて焼失した。元は大光寺の隣にあったが昭和27年に現地に移動した。
(下寺)-17 宗慶寺(そうけいじ)
下寺町2-1-25
「宗慶寺(そうけいじ)」には松竹新喜劇で有名な渋谷天外(しぶやてんがい)の初代と2代目の墓がある。
(下寺)-18 善龍寺(ぜんりゅうじ)
下寺町2-1-17
慶長7年(1602)開創の「善龍寺(ぜんりゅうじ)」、戦災で山門を残し全焼した。元は松屋町筋沿いにあったが、昭和47年再建時に現地に移動。境内の桜と「海中出現地蔵尊」が有名。
(下寺)-19 称名寺(しょうみょうじ)
下寺町2-2-48
「称名寺(しょうみょうじ)」寛永元年(1624)開基。戦災で門を残して全焼した。「海中出現口縄正観世音菩薩」があり、「口縄坂」の口縄の名はこの菩薩名からきているという。
(下寺)-20 西照寺(さいしょうじ)
下寺町2-2-45
「西照寺(さいしょうじ)」門を入ると左側に「十一面観音菩薩像」、右に安政6年(1859)につくられた「仏足石」がある。仏足石とはお釈迦様の足を型とったもので、これほど古いものはこの辺りにないといわれる。
(下寺)-21 正覚寺(しょうかくじ)
下寺町2-2-41
文禄元年(1592)開寺の「正覚寺(しょうがくじ)」には、「月見して如来の月光三味や」を残して去った俳人松瀬青々の墓がある。又、江戸時代に飛脚業を営んでいた日本通運が建てた「家業奥立地蔵(かぎょうおくだてじぞう)」などがある。
(下寺)-22 幸念寺(こうねんじ)
下寺町2-2-39
「幸念寺(こうねんじ)」慶長元年(1596)開基。門を入ったところにある子どもを抱いた「子安地蔵菩薩」がある。又、手をあて念ずれば願いがかなうという現代仏教詩人、坂村真民の「念ずれば花ひらく」の霊碑がある。
(下寺)-23 西念寺(さいねんじ)
下寺町2-2-36
「西念寺(さいねんじ)」戦災で焼失し、運慶(うんけい)作といわれる「阿弥陀如来立像」だけが残っている。境内には昭和62年に玉造から移した「子授け地蔵」がまつられている。
(下寺)-24 良運院(りょううんいん)
下寺町2-2-33
「良運院(りょううんいん)」開基は元和年間、良運上人の開山。境内を入って正面には4mはあろうかという「日限地蔵(ひぎりじぞう)」がまつられている。その横に福を招くという豊川稲荷の「ダキニ天の社」がある。
(下寺)-25 円成院(えんじょういん) (遊行寺(ゆうぎょうじ))
下寺町2-2-30
「円成院(えんじょういん)」(通称 遊行寺(ゆうぎょうじ))