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Cコース(21)~(24)

2022年5月6日

ページ番号:439

(21)一心寺(いっしんじ) ~お骨仏と断酒祈願の寺~

〔逢阪2丁目〕

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一心寺

 山号を坂松山という浄土宗の寺院である。開基は法然(ほうねん)上人であるといい法然が「日想観」を修するために営んだ庵室の跡であると伝えられる。一心寺の名は、慶長(けいちょう)元年(1596)三河の僧、本誉存牟上人が法然の旧跡を慕い来り1,000日禁足、昼夜不眠の念仏を修し再興したことにより、その一心称名をもって出来たことによるといわれる。この寺は、納骨寺として全国に知られ、納められた骨によって10年毎に阿弥陀仏が作られる。これは嘉永(かえい)4年(1851)から始まったものである。この寺の表門は大阪城三の丸玉造口の黒門を移したものであり、また書院の脇には小堀遠州(こぼりえんしゅう)好みの三方明りの数寄屋があり、俗に「八窓の茶室」と呼ばれていたが、惜しくも昭和20年の空襲で焼失してしまった。(右の写真:一心寺)

 

 本多忠朝(ほんだただとも)墓所

一心寺(本多忠朝公)

 本多忠朝は家康の四天王の1人本多平八郎忠勝の次男である。大阪冬の陣の時弱冠22歳で一方の旗頭となったが総攻めの際泥酔して不覚をとり真田幸村の軍勢に惨敗を喫した。このあと家康に「親にも似ぬ不出来物…」と叱責されたため発奮し、翌年の大阪夏の陣では最前線で活躍し、毛利勝永隊と争い壮烈なる戦死をしたのである。この時深傷の中から「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は必らず酒ぎらいになるべし」との言葉を残したという。現在でも忠朝の墓に禁酒祈願をする人が多い。また本多忠朝の奮戦は「大阪夏の陣図屏風」に描かれている。また、一心寺には俳人小西来山、八代目団十郎ほか芸能人多数の墓もある。(右の写真:一心寺(本多忠朝公))

 

天王寺公園界隈

(22)茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)と河底池(かわぞこいけ)

〔茶臼山町 天王寺公園内 大阪府指定史跡〕

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茶臼山古墳と河底池

 大阪冬の陣で家康の本陣となり、夏の陣では幸村が布陣し激戦地となった茶臼山は、奈良時代に和気清麻呂が河内川の流水を南にひこうとした河底池とともに、天王寺公園の風景にとり入れられている。
 この茶臼山は昭和61年度に発掘調査を実施したが、古墳の築造と同様の方法で盛土が行なわれたことがわかったほかは、古墳を示す資料は発見されていない。ところが、本陣跡の遺構がよく保存されていることがわかり、記録にある家康本陣の台所跡の一部も発見された。(右の写真:茶臼山古墳と河底池)

(23)慶沢園(けいたくえん)

〔茶臼山町 天王寺公園内 大阪府指定史跡〕

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≪碑文≫

本園はもと住友本邸の庭で、明治41年庭師小川治兵衛が作り、伏見宮貞愛親王が慶沢園と命名した。大正10年に大阪市に寄贈された。

 

慶沢園

 もと住友本邸の庭で、美術館の敷地とともに大阪市へ寄贈されたものであり、10年余りの歳月を要して完成した純日本風の回遊式庭園である。(右の写真:慶沢園)

(24)旧黒田藩屋敷長屋門(くろだはんやしきながやもん)と林芙美子(はやしふみこ)文学碑

〔茶臼山町 天王寺公園内 大阪府有形文化剤 大阪市顕彰史跡〕

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≪碑文≫

現在中之島三井ビルの場所がおおむね福岡黒田藩の蔵屋敷で、これはその長屋門である。数少ない蔵屋敷遺構の一つで、昭和8年三井ビル建設に際し大阪市に寄贈された。

 

旧黒田藩屋敷長屋門

 蔵屋敷は諸大名が自国産物の保管、管理、販売のために設けた藩邸で、明治維新直後には135を数え、交通運輸(水運)に便利な堂島、土佐堀川、江戸堀川など中之島周辺に集中していた。市に寄贈された長屋門だけがここへ移されたもので、現存する蔵屋敷の長屋門の遺構として貴重な存在であり、江戸中期の建造物とされている。(右の写真:旧黒田藩屋敷長屋門)

 林芙美子(はやしふみこ)文学碑
林芙美子文学碑

 この長屋門と市立美術館の間に市教育委員会が建立した林芙美子の文学碑がある。
(林芙美子「めし」より)
(右の写真:林芙美子文学碑)

 天王寺公園(てんのうじこうえん) 〔茶臼山町(ちゃうすやまちょう)〕
天王寺公園

 明治36年(1903)にこの辺から恵美須町一丁目、霞町付近にかけて大阪では初めての第5回内国勧業博覧会が開かれた。その跡地利用として西半分を新世界に、東半分を天王寺公園にしたもので、明治42年に開設された長い歴史を持つ公園である。
 昭和62年に開催された天王寺博覧会を契機に、水と緑をふんだんに取り入れた公園へと一新された。
沈床花壇や小川の小径、水の広場、バラのアーチ、温室、映像館など見どころも多彩である。
 また、起伏に富んだ園内に旧住友家の名園慶択園や茶臼山古墳、市立美術館があり、公園に隣接した西側に天王寺動物園がある。(右の写真:天王寺公園)

 

 大阪市立美術館(おおさかしりつびじゅつかん) 〔茶臼山町〕

大阪市立美術館

 大阪市立美術館は昭和11年5月に開館した。美術館は天王寺公園の中に位置しているが、その敷地は住友家の本邸があった所で、美術館の建設を目的に庭園(慶沢園)とともに大阪市に寄贈されたものである。
 美術館は設立当初の本館と、平成4年に美術館の正面地下に新設した地下展覧会室からなっている。地上3階、地下2階からなり、本館陳列室では、特別展覧会や常設展示を開催している。
 常設展示では購入や寄贈によって集まった日本・中国の絵画・彫刻・工芸など8000件をこえる収蔵品と、社寺などから寄託された作品を随時陳列している。これらの作品には国宝や 重要文化財に指定された作品も多く含まれおり、また地下展覧会室では、常時様々な美術団体が主催する展覧会が開催されている。(右の写真:大阪市立美術館)

 

 天王寺動物園 〔茶臼山町〕

天王寺動物園(サバンナゾーン)

 天王寺動物園は大正4年(1915年)1月に日本で3番目の動物園として開園した。以来、市民のレクリエーションおよび教養の場として親しまれている。開園当時と比べると面積も増加し、現在約11ヘクタールの園内におよそ310種1500点の動物が飼育されている。また、都心の気軽なオアシスとして、年間160万人以上の利用者で賑わっている。天王寺動物園では、動物の生息地の環境を可能な限り再現し、そこに暮らす動物の様子を紹介する「生態的展示」を行う計画が進められており、平成7年には、生息地の現地調査を踏まえた爬虫類生態館「アイファー」が、平成9年には日本初の水中透視展示プールを有するカバ舎が、平成10年にはアフリカのサバンナを再現したサイ舎がオープンした。次いで平成12年にアフリカサバンナ区草食動物ゾーンがオープンし、平成15 年アジアの森・ゾウ舎が完成した。(右の写真:天王寺動物園(サバンナゾーン))

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