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四天王寺南門の南、庚申堂南向かいにある。現在も湧出中である。水源は当井戸から約10m南西の民家庭先にある同型の井戸で、そこから桶でひいていた。この元井戸の水も涸れてきたので、昭和51年より現井戸の地下約15mをボーリングしポンプで汲み上げている。戦前は井戸の向かい側にあった風呂屋、庚申堂の前にあった醤油醸造所がこの井戸の水脈を利用するほど水量は豊富であった。
大江神社拝殿に向かって左側の境内地にポツンと井桁が残るが由緒不明である。現在は、湧水もなく完全に埋め立てられている。かつて、水面まで約20mもある深い井戸であった。この井戸の南向かいに残る手洗鉢が前に据えられていた。両者に「長七若中 天明八年戌申六月吉日」とあるが、これは、堺筋に沿ってあった浪速区長町七丁目の人達の寄進であることを示している。
山門に入ってすぐ右側にある。この水を飲めば種々の御利益があり、開運につながると信仰されてきた。また「愛染」が「藍染」に通ずることから一時期、紺屋など染物業者の信仰を集め、井戸前にある手洗鉢はこれらの業者の奉納したものである。勝鬘院参子者の手水用とある種信仰の対象になっている。
境内崖下にかかる京都清水寺音羽の滝をまねて、寛政8年(1796年)に作られた。現在でも滝に打たれて行をする人がたえない。傍らに「玉出滝碑」があり、滝川弥兵衛が嘉永元年(1848年)戌申3月に官許を得て手を加えたことが判る。
昔、この付近の有力者、大小橋命(おおおばせのみこと)誕生のとき、産湯に用いたという伝えからこの名がある。味耜高須根命(あじすきたかすねのみこと)が当地に降臨したとき掘削したといい、日高清水・日高真名井清水・高津清水・産湯の玉の井などと伝説に彩られた清水である。今日では湧水はないが、立派な井戸屋形が残る。
大阪市は、上本町七丁目街園(フォンテーヌ上七)建設にあたって「上街台地の緑」と「天王寺の七名水」をテーマに整備を行った(1993年完成)。
(整備説明碑の内容)大阪市民の飲料水は、上水道の完備するまで淀川の水をそのまま使用するか、水質の悪い井戸に頼っていた。その中にあって上町台地では、井戸は深いが良水が得られた。特に台地の西側には「天王寺の七名水」と評判の井戸があって、遠くからも多くの人が利用した。当街園は、上町台地の名水と緑にちなみ「水と緑と台地」をテーマに整備を行った。
天王寺にある清水
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