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都島区の都市景観資源(わがまちナイススポット)

2024年1月30日

ページ番号:196224

都島区の都市景観資源(わがまちナイススポット)について

 大阪市では、平成15年度及び平成16年度に都島区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)2件を登録するとともに、平成23年度に都島区の都市景観資源の発掘のため、都島区未来わがまちビジョン推進会議との連携により「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成24年12月21日に7件を都市景観資源に登録しました。

都市景観資源一覧表
桜宮橋毛馬桜之宮公園藤田邸跡(太閤園、藤田邸跡公園、藤田美術館)
淀川神社淀川河川敷(都島区)櫻宮御旅所 渡辺綱・駒つなぎの樟
飛翔橋都島神社鵺塚

平成15年度・平成16年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)

桜宮橋(さくらのみやばし)

登録年月日

平成15年4月11日

所在地

大阪市北区天満1丁目-都島区網島町 間

概要

 昭和5年(1930年)に第一次都市計画事業によって大川(旧淀川)に架けられたアーチ橋で、最大支間は104mとアーチ橋としては戦前では日本最大であった。アーチの両端にロマネスク風の昇降口があり、橋の景観を高めている。意匠指導は武田五一による。銀色に塗られているため、銀橋と呼ばれ親しまれている。

講評

北区都市景観資源(桜宮橋(都島区との間))

 本橋は地盤変動に対応出来るよう力学的には3ヒンジアーチで、この種のアーチは世界的に見ても本橋以外殆ど無い。アーチ部材の中間が力強い断面を持ち、本橋の特長となっており、斜めから見た橋が美観的に一番よい。アーチの両端に、橋頭堡とも言うべき塔があり、橋全体の印象を高めている。回りの公園ともマッチしており、最近出来た超高層ビルにも俺は負けてはいないぞと威厳を保っている。銀色に塗られているので、銀橋とよばれ親しまれている。
 現在国道1号線の拡幅に合わせ、隣に新しい橋が建設される予定で、本橋と合わせて如何に良い景観を構成するか種々の検討が行われている。 [大阪市都市景観委員 山田善一]

毛馬桜之宮公園(けまさくらのみやこうえん)

登録年月日

平成16年10月8日

所在地

大阪市北区長柄東2丁目~天神橋1丁目、都島区友渕町1丁目~網島町1丁目

概要

 大川の毛馬閘門から下流の天満橋まで、川の両岸に連なる延長4.2km、面積約30haの都市公園。大川の流れに沿ったプロムナードには桜並木が続く。3月下旬から4月上旬には、ソメイヨシノなど約4700本の桜が満開となる。

講評

北区都市景観資源(毛馬桜之宮公園(一部は都島区))

 明治16年(1883年)から続く春の風物詩「造幣局の通り抜け」に繋がる桜の名所である。どこまでも桜並木が続き、緩やかに蛇行する大川の水面と相俟って、高層高密化した大都市大阪にあって、開放的な潤いある風景が広がる。春の桜、夏の濃い緑と天神祭、秋の紅葉と四季を通じた風景が楽しめる。右岸沿いには公園に隣接して泉布観(せんぷかん)、造幣局など明治初期を代表する建築物が並び、その対岸には旧藤田邸庭園も修復後開放され、日本の近代化を誘導した明治の面影も偲ばれる。 [大阪市都市景観委員 増田昇]

平成24年12月21日登録の都市景観資源

藤田邸跡(太閤園、藤田邸跡公園、藤田美術館)(ふじたていあと[たいこうえん、ふじたていあとこうえん、ふじたびじゅつかん])

都島区都市景観資源(藤田邸跡(太閤園、藤田邸跡公園、藤田美術館))

※太閤園については、2023年12月現在、解体済

所在地

都島区網島町9番10号、10番、10番32号

概要

 大阪経済の基礎を築き、明治時代に関西実業界の中心人物であった 藤田傳三郎(ふじたでんざぶろう)氏が明治42年(1909年)に建築した邸宅の跡地で、公園や藤田美術館、太閤園が位置する。
 豪壮を誇った邸宅のほとんどは、戦災で失われたが、大正3年(1914年)に竣工し、唯一残された東邸は、「淀川邸」として、現在も大正ロマンの薫りを漂わせている。太閤園は、その「淀川邸」を中心に、7,000坪の広大な敷地に築かれた築山式回遊庭園等から構成され、その庭園には、自然の奇石珍石や古き由緒ある灯籠や石仏などを日本各地より集め、配置している。
 藤田邸跡公園は、築山・滝・流れを基本的構成とし、起伏に富んだ地形を人工的につくり出している。平成15年(2003年)に大阪市の名勝の指定を受け、毛馬桜之宮公園の一部として平成16年(2004年)に開園した。
 藤田美術館は、傳三郎と長男平太郎、次男徳次郎が収集した東洋古美術を保存展示している。邸宅のほとんどは戦災で焼失したが、罹災(りさい)を免れた蔵を改造し、昭和29年(1954年)に開館した。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 藤田傳三郎氏の邸宅跡地に立地する太閤園、藤田邸跡公園、藤田美術館が相互に調和し合い、一体として良好な景観を形成している。太閤園は、格調高い庭園と邸宅を残しながら商業営業を続けている、貴重な歴史的建造物である。藤田邸跡公園は、落ち着きのあるよく整備された庭園であり、都心の貴重なオアシスとなっている。藤田傳三郎氏らが収集した美術品を展示している藤田美術館も、太閤園や藤田邸跡公園とよく調和している。

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淀川神社(よどがわじんじゃ)

都島区都市景観資源(淀川神社)

所在地

都島区毛馬町1丁目2番11号

概要

 平安時代に淀川河口を護る武士達によって祀られたのを始まりとし、友渕村には氏神として「十五神社」が、毛馬村(けまむら)には氏神として「八幡神社」が祀られていたが、明治時代に他社に合祀された。昭和に入り、平和な街づくりと、明るい郷土の発展を願う熱心な人々の総意によって、旧十五神社の境内地に毛馬町、大東町、友渕町の総鎮守として再建された。
 御祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、八幡大神(はちまんだいじん)、子守大神(こもりのおおみかみ)、春日大神ほか。
 夏祭りは子供神輿(こどもみこし)、枕太鼓巡行(まくらだいこじゅんこう)、秋祭りは湯神楽(ゆかぐら)奉納があり、夜店も多数出て大いに賑わう。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 淀川神社は都島区に存在する3つの神社の内のひとつ。城北公園通からも良く見え地域のランドマーク的存在となっている。毎年、定期的に祭りが開催され、地域の人々からも親しまれている。境内は管理も行き届いており、小さいながらも落ち着いた雰囲気がある。

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淀川河川敷(都島区)(よどがわかせんじき[みやこじまく])

都島区都市景観資源(淀川河川敷(都島区))

所在地

都島区毛馬町3丁目地先

概要

 淀川河川敷には淀川河川公園が、昭和47年(1972年)から整備されており、当地区は昭和51年(1976年)に整備された。都島区に位置する公園部分は、スポーツのためのグラウンドのほか、芝生広場や野草広場が広がっており、家族そろって楽しめる空間となっている。緑地部分の面積が幅広く、ゆったりした淀川のランドスケープを楽しむことができる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 広々とした気持ちのいい公園であり、都市空間の中の憩いの場となっている。また、様々なスポーツ施設が整備され、多くの人々に親しまれている。

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櫻宮御旅所 渡辺綱・駒つなぎの樟(さくらのみやおたびしょ わたなべのつな・こまつなぎのくす)

都島区都市景観資源(櫻宮御旅所 渡辺綱・駒つなぎの樟(くす))

所在地

都島区善源寺町1丁目11番26号

概要

 明治42年(1909年)まで旧善源寺(ぜんげんじ)村の産土神社(うぶすなじんじゃ)が鎮座したところで、現在の櫻宮御旅所に、このクスノキの大樹がある。この木は平安時代の中ごろ、源頼光(みなもとのよりみつ)が社を創建する際に植えたもので、頼光の四天王の一人で、この荘園の管理を任されていた家臣の渡辺綱(わたなべのつな)が参詣するとき馬をつないだとの伝承があるところから「渡辺綱・駒つなぎの樟(くす)」と呼ばれている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 昭和の初め、大阪府の天然記念物の第一号に指定されており、当時、幹回り10m、高さ20mの大木であったそうである。現在は、戦災によって樟は立ち枯れの状態であるが、一瞬で畏敬の念を抱かせるその姿からは往時の姿がしのばれる。

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飛翔橋(ひしょうばし)

都島区都市景観資源(飛翔橋)

所在地

都島区都島本通1丁目~北区長柄東1丁目

概要

 都島区善源寺町から、大川を隔てて北区長柄東へ連絡する歩行者専用橋で、昭和59年(1983年)に完成し、主橋梁部の形は、建設当時、わが国にも外国にも例のない二重のアーチ橋(ニールセン・ローゼ桁)で、橋長103.55m、幅員4.00mである。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 主橋梁部はダブルアーチ構造であり非常に珍しい形状をしている。歩行者専用の橋であり、地域の人々に親しまれるとともに、周辺の環境と調和したデザインである。夜間にはライトアップもされ、地域のシンボルとなっている。

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都島神社(みやこじまじんじゃ)

都島区都市景観資源(都島神社)

所在地

都島区都島本通1丁目5番5号

概要

 平安後期、後白河法皇が鎮護の神社として創建されたと伝えられる。社殿は太平洋戦争の空襲で焼失したが、昭和24年(1949年)に再建された。境内にある嘉元2年(1304年)銘の石造三重宝篋印(ほうきょういん)塔は、市内最古の石造建造物で府の有形文化財に指定されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 境内は綺麗に整えられていて、地元の方の愛着を感じる。石造三重宝篋印塔は大阪市内最古の石造建造物といわれ、貴重な歴史的資源である。

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鵺塚(ぬえづか)

都島区都市景観資源(鵺塚)

所在地

都島区都島本通3丁目18番

概要

 平家物語によれば、平安末期、近衛天皇(このえてんのう)を夜ごと悩ませていた怪鳥を源頼政(みなもとのよりまさ)が射落としたところ、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎の姿で鳴く声はトラツグミに似ており、これを鵺(ぬえ)と言い、鵺を丸木舟にのせて淀川に流したところ、澤上江(かすがえ)の渚に漂着したが、祟りを恐れた村人たちが母恩寺(ぼおんじ)の住職に告げ、ねんごろに弔って土に埋め、これを「鵺塚」としたと伝えられる。現在の塚は明治3年(1870)年、大阪府が改修し、祠も昭和32年(1957年)に地元の人々によって改修されたものである。この「鵺」は大阪港の紋章のデザインとしても使用されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 源頼政の鵺退治伝説に関連した、歴史的に貴重なスポットである。地元の方が「鵺塚保存会」を作られ地域のシンボルとして、丁寧に管理されている。

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計画調整局 計画部 都市計画課(都市景観)
電話: 06-6208-7887 ファックス: 06-6231-3751
住所: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所7階)

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