児童精神科って何をしているか。 児童精神科の心理士ですので、児童精神科というところは、あまり関わらないですよね、お子さんに問題を感じなかったら。 だからまあ何をやっているのかなっていうのもわかりにくいかもしれませんけれども、小さければ基本的に知的障がいか発達障がいの診断をするためにあるようなところがまずはありまして。 ちゃんとその子の状態を判断して、合っている子育てをするために、手伝う場所ぐらいなイメージでいてくださったらいいかなと思うんです。けれども皆さんは、あまり知らないんじゃないかなと思うんです。 精神科と心療内科の違いをあまりわかっていないというか。何か町にいる精神科医が心療内科で、大きい閉鎖病棟とか鍵付きの部屋とかがあるところが精神科みたいなそんな感じはあるのかな。 ありますか、そうですか、よくわかんないなという感じですか。 恐らく、皆さんが思っている心についてのクリニック、病院は本当はというか全部精神科を指します。 ホームページを見ていただければ分かりますけれども、心療内科のほとんどは診療科目に律する開設科目に心療内科精神科と書いてあります。 心療内科しか書いてないところは、ほぼないんです。あるんですよ、少しあります、ほぼないんですよ。 心療内科精神科と書いているクリニックは、これは精神科です。何で心療内科を先に書いているかといったら何か軽い感じがする。 精神科に行きませんよ、うちの子精神科にかかる感じじゃないです。まず、心療内科で診てもらっている。これは名前上のトリックという言い方は悪いですけど、そういう悪い感じにしない方がいいですね。 心療内科という科目自体を一応伝えておきますと、心身症を見る場所です。心のストレスが身体に影響を症状を起こしちゃってる。だから内科なんです。 心の相談をどういうふうに聞いていく。精神がどうなっている。心の中の状態を検査する。心理検査をする。 そういう項目って全部精神科の項目で、児童発達でいうと知的障がいの状況、知的状況とか発達状況とか愛着状況とか、そういうことを判断する場所。 これは精神科ですので、精神科って何か敷居が高いんですよ。精神異常を見るような気がする。 そういうことじゃないんだというのをお伝えしておきたいです。 精神科、一応本来の全ての精神科医がどうなっているかわからないですけど、本来の精神科の意味は、皆さんの困っている状況の中にちゃんと生活をちゃんとしていきやすいように整えていくために やるわけです。正常・異常を判断して、何か薬をいっぱい飲ませて薬漬けにしてみたいな。何かね精神科かは何か恐ろしいニュース事情みたいなのがなんか出てますけど、そういう雰囲気あるんですけど、 そういうことじゃないんだというのをお伝えしておきたい。何か薬についてもね、危ない情報みたいな、ちょっと飲ますとすぐこうなる、こういう場合もあるわけですけれども、 実際その中にいる人間から言わすと、そんなこともないけどねというふうに、こう思っているのが私の実感です。 知的とか発達とか愛着とか、全部ね障がいという言葉があります。知的障がい、発達障がい、愛着障がい。これは知的状況はみんなあるわけですよ。発達特性というのもみんなその特性があるわけです。 愛着形成とか愛着スタイルとか、愛着状況とかそれぞれ皆さんあって。それが病名をつけた方がいいぐらい、状況が大変なことになっているねというのが病名がつく。 皆さんにその知的な状況も発達の状況も愛着の条件を皆さんにありますので、そういうのを児童精神科という場所は判断がつく場所です。そこのね私は医師。 子育ての仕方によっては精神疾患になるんでしょうか。何かこう、ぞそぞっと恐ろしい音が聞こえてきそうな雰囲気の話ですけれども、そんなに何て言いますか、 基本的には子育てにびびらないでほしいというか、わりと大丈夫です。そういう時です。 ここに子どもがいるのか、親がいるのかと、非常に結構誰が聞いているのかという大事な話なんですけれども、基本的にはお母さん、お父さん、それに関係する支援系の方々だと思うんですけどね。 ここにいらっしゃる皆さん、だから皆さんにこちらがお伝え、そういう皆さんにこちらがお伝えしておきたいのは、皆さんに「それでいい」なんですよ。 そんな危なくないよと、皆さんでやること子育ての仕方も。怖いんですよね、こういうことを聞きに来る動機の一つは何かこうおびえがあるんですよ。 こう何かしたら問題になる、やり過ぎると大変なことになる、やらなさすぎると大変なことになるみたいな。 そういうのを知りたいということですけれども、それよりは問題はそこじゃなくて、そのそれに対して怯えている子育てする側の心理的緊張の方が大きく問題があります。 これはちゃんと根拠がありまして、子どもというのは支えていることが伝わる方がボリュームが小さいんです。 実際に言語的コミュニケーションできません、3歳ぐらいまであまり文脈が伝わらないですね。ここをこうして、ああして、こうやったらああなるんだよ、こううまくいかないんですね。 大体その2歳になるぐらいまでに、どういう言語というのが発達するのかというと、二語文。 今朝まで知らなかったんですけど、皆さんに入っているペンでもいいんですけれども、あべのんね。あべのんの頭にのっている花は桃だそうですよ。今日知りました。さっき教えてもらいました。 例えば桃が好き、二語ですね。桃が好き、これ二語文。この二語文をできるか、これが2歳ぐらいまでに安定的に使えるという、言語発達状況があるわけです。 けれど、0歳児、何かお子さん産んだら、会場ここじゃないですかね、僕だって息子をここに連れてきた覚えありますよ。1カ月児健診とか3カ月児健診とかねあります。 何かここで息子見てもらった覚えある、この部屋ですよね。そこでね最後どれぐらいなのか1歳半、3歳児健診というのが最後かな。 定期健診があると思うんですけれども、その時に1歳とか2歳になっていく時に保健師さんという方がいらっしゃって、最後この辺ですよね。 あっちの方からいろんな検査していって最後に面談みたいなやつがあって、そこで保健師さんっていう方がね喋って、ちょっと歩いてみて、走ってみてとかね、やるわけですよ。 その時にこの二語文というのを見ててね、何々が何々、これを言えてるか、主語と述語ですね。この基本構成が言えてるかみたいなのをやっているわけですね。 あの時、その言語発達というのが何か上手くできないかな、どうなのかなというところを発達とか知的とかそういうところのちょっと気になるピックアップがありまして。 ちょっと調べてみた方がいいかもねって、話になるんですけれども。ただ普通に順調にいってて、うまく言葉を使いこなすというのが 二語文なんですよ。 中身の詳しいことの話はできません、小っちゃい子。だから教育というのは伝えたことが、本人の中に残ってちゃんとやれるようになっていく、そんなの全然後なんです。 子どもたちは何をじゃあ実際吸収するのかということなんですけれども、その自分の目の前にいる人の心理的状況のコピーです。 つまり、この子育てそのものに対する怯えがあると、子育てそのものの怯えを子供が吸収するんです。だからそのやっていることがあるわけですよ。 ストレスがかかると怯えているとか、ストレスがかかると怒っているとか、ストレスがかかるとああってなっていくとかね。 これはこの二語文でね説明、二語文含む言語で、私はストレスがかかるとこういうことになって。 こういうふうにストレス対策として、何かイライラして言葉を発しますみたいなことを子どもにそんな説明しません。 でも、それはミラーリングという脳の機能がありまして、勝手に起きていることをそのままビデオカメラで撮影して、それを脳内にコピーして、それを行動として反映させていくという風に学習するんですね。 なので、重要なのはだんだん今日の話が煮詰まってくると、そういう話が出てくるんです。 その時にストレス状況の中にとれている態度が、そのまま何か問題があったら、こういうふうにするんだなという、それを学習します。 そのためには僕は何度も言いますけど、その子育てをしている側の人間がいかに自分がそんなにびびってない、世界に社会にびびってない、これがすごい大事なんですよ、心理的安全性。 自分がそれでいいんだなとなっている心理状況の中でその後にそれでいいよっていう、こういう流れがあります。それをちょっと何とか掴んでいきたい。 何かこう恐ろしいというか、こういう講演会とかやると何と言いますか、今みたいな話をするとここに例えば御両親がいらっしゃったりしたら、私そんなふうじゃなかったわみたいな。 すごくびびって、ぶち切れて、そんなのやっちゃったわとか言って、すごい落ち込んで帰っていく方とかもあるかもしれないので、ちょっとそういうことじゃないというのは先に言っときたい。 それを含めて、そのことに対しての罪悪の方が問題なんです。その罪悪がまたびびるんですよ。このああってなってね、そのああってなってるやつを吸収するんですからね。 ちょっとこうまあ色んな意味で安心して本当にわかってもらいたい。